Sunday, April 29, 2007

「見上げてごらん夜の星を」

1週間前のこと、4月の日曜日のポコ・ア・ポコは8家族のみなさんに来ていただきました。春に新しい出会いを迎えたみなさんとのポコ・ア・ポコです。これから始まるわくわくが待ち遠しい空間は新学期ならではでしょう。来月も楽しみです。

ゴールデンウィーク前日の朝は東名阪で鹿が轢かれて渋滞の中を出勤しました。仕事は分刻みであっという間に一日が過ぎ、その夜は病院に泊まりました。高度に構造化された医療のパラダイムに学ぶことが多々ありました。しかし、そこでもインターフェイスは人です。人、人、人です。今日、家に戻るとき、前を走る車のスペアタイヤのケースにブラックジャックがプリントされていました。彼も外科、切って治すが手塚治虫が描こうとした世界はヒューマニズムに溢れています。

少しずつ読んでいる本が東野真著『緒方貞子 難民支援の現場から』(集英社新書 2003)です。圧巻は巻末の講演「日本、アメリカと私ー世界の課題と責任」(1999.3.10 ワシントン マンスフィールド太平洋問題研究所主催)です。比喩ですが、緒方貞子は常に北極星を見ているということを強く感じます。その北極星は人道主義、ヒューマニズムです。

iTunes Storeのサーチでレーナ・マリアの「見上げてごらん夜の星を」をヒットしました。日本語がとても自然に聴こえて驚きましたが、それだけでなくこの歌はただごとではないと彼女のプロフィールをネットでサーチして腑に落ちるものがありました。彼女の歌もヒューマニズムの文脈に添う力を秘めています。「見上げてごらん夜の星を」は国立特殊教育総合研究所(現独立行政法人国立特別支援教育総合研究所)の研修員だったとき、講義の中でこみ上げる涙が止められず手話で歌った歌です。レーナ・マリアの歌は、でも、どこまでも前向きで、北極星を見つめている歌です。

「見上げてごらん夜の星を」は音楽的に理にかなった構造です。Fから始まるクリシェの和声進行とAmへのジャンプという定石でありながらこのオリジナリティはただものではありません。音楽の美学そのものでしょう。サックスでオブリガートを奏でたい曲です。

今日はおだやかな初夏を思わせる一日でした。そよ風にゆれるピンクのカーテンと水面のように日差しに光る網戸、遠くに臨む朝熊山と伊勢の街、わずか6階なのにこの眺望がもたらす静けさも非日常のひとときでした。

Monday, April 16, 2007

病院の一日

日曜日は大きめの地震があって勤務先に駆けつけました。駆けつけたといっても高速道路も近鉄電車も止まっていて、一般道を走って1時間45分かかりました。幸い、地震で作動するシステム以外の異常はありませんでした。この地震のとき、ちょうど私は車をドアを開けてシートに腰を下ろしたところでした。車全体が波打つように揺れて、これはドンを腰を下ろしたためかと、車外に出て意識的にドンとシートに腰を落としました。だけど揺れない。これは地震だと思いました。車のテレビをつけると地震とのテロップが出ていました。県庁の“防災みえ”からは携帯にメールが次々と届きました。一体何が起こったのだろう。勤務先に向うとき、私の携帯は途切れがちでした。災害は起こらないとわからない。そう実感した次第です。

今日は総合病院に7時間余もいました。病院の一日を見ることになりました。今日話をしたのは外科のドクターで、ある意味でEBMのひとつの極みにおいて構造化された文脈に触れたように思いました。診察時間が終わりに近づくと病院の廊下にはブラックスーツの男たちが人待ち顔で集まります。プロパーなど営業マンです。私もブラックスーツにいつものビジネスバッグという出で立ちで、私が廊下を行き来すると新顔とばかり私をチェックする視線を感じました。自分が置かれた状況によって人の見方がちがってくるものです。仕事は厳しい。

日曜日のポコ・ア・ポコのご案内を発送しました。明日火曜日には届くと思います。作り始めたら早いのですがここのところ慌ただしくて取り付く間もなかなかありませんでした。“間”がないというのは由々しきことです。

Saturday, April 14, 2007

ドミナントのシャープ

先週は日付が変わってから帰宅という日もあって頭の芯の感覚がなくなっているようです。昨日金曜日は所用で午後から休暇を取りました。異なる職種の人と詰めた話をするのは難しくもあり新鮮でもあります。紺のスーツに大きく膨らんだ黒の化繊のビジネスバッグの私は金融機関の営業マンに見えたことでしょう。その勢いで夜は映画のレイトショーに行きました。道路はなぜか車が多くて時間に間に合うかとどうかとやきもきしながらアテンザのシフトチェンジを繰り返しました。

観たのは「ブラッド・ダイヤモンド」です。相当な部分がノンフィクションだと思います。どのシーンも密度が濃くて見入ってしまいました。音楽は弦が基調のように流れていて、これはある時期のネイチャーブームの頃の音と音楽に印象が似ていました。女性ジャーナリストのバッグがドンケだったり、常用のカメラが黒塗りのM型ライカだったり、AF一眼がニコンだったりと、カメラ好きの私はそちらのチェックもしっかりしました。閉店間際の映画館のコーヒーはすごく濃くて苦くて、疲れてレイトショーを観るにはぴったりです。

今日は朝から地元の療育サークルのムーブメントでピアノを弾きました。合間に楽譜集の他の曲のページを見るとぞくぞくするような和音があって眠気も飛んでしまいました。「おおきなくりのきのしたで」のラスト2小節、コードネームにするとC→Dm7+5→Cという進行で、弾くとただならぬ空間が生まれます。前奏から歌の部分は基本の和音の展開に留めておいて最後にこの響きがくると余韻とともに達成感が生まれます。ドミナントのシャープはハーフサイズの深呼吸です。

Amazonに注文していた本がやっと届きました。金子郁容『ボランティア もうひとつの情報社会』(岩波新書 1992)、同『学校評価 情報共有のデザインとツール』(ちくま新書 2005)、東野真『緒方貞子 難民支援の現場から』(集英社新書 2003)の3冊です。この3冊に共通するファクターは何か!? 飛躍の感もありますがヒューマニズムかも知れません。緒方貞子の難民支援の文脈は文字通りヒューマニズムです。金子郁容の本は彼自身への言い聞かせと思わせる切羽詰まった言葉が並んでいて緊張感があります。私はそこに共感しているのだと思います。自分への説明のために文を書いているように思うことが少なくありません。

ドリカムの「LOVE LOVE LOVE」英語バージョンがiTunes Storeに加わりました。山下達郎の「クリスマスイブ」もそうですが、オリジナルの日本語よりもいい!?

Sunday, April 08, 2007

ポリーニのショパン

学校は新学期を迎えています。私も高校の入学式に出席する機会がありました。1000人を超える新入生と保護者、学校関係者が水を打ったようにひとつのことに集中する空間は圧巻でした。生徒が教室に移動したあとの保護者向けの説明は進路に的を絞ったもので、進路の実績がものをいう高校の厳しさを反映していました。高校は生徒が集まらなければ学校そのものがなくなります。少子化が加速化する今、高校はピンチといえますが、ピンチこそチャンスと果敢に挑む高校は活気にあふれています。京都大学桂キャンパスと見紛う新校舎に見とれてしまいました。

今日は新学期の準備で朝から休日出勤でした。鈴鹿スカイラインに続く道はバイクが連なっていました。こんな暖かい春の日、いいなぁ…と横目ならぬ真正面からまじまじと見つめながら勤務先に向かいました。ライダーたちはみな私よりも年上と見ました。自転車のロードレーサーで走っている人もおじさんばかりでした。私も元気をもらいました。

帰りに寄るクリーニング店の仕上がりまで少し時間があったのでパソコンの専門店で小一時間つぶしました。今更のWindowsと思いながらも自作パーツを見ると血が騒ぎます。コンピュータは不思議な存在です。

金曜日の夜、ショパンのピアノが聴きたくなりました。ポリーニが弾くエチュードを探したけどなくて、iTunes Storeで探して購入しました。すごくなつかしい演奏です。高度成長期、バブルの前、あの頃のひたむきさが伝わってきます。その後は、情熱的とされながらも理性的と思える演奏になってきたように思います。エチュードといえば原口統三の『二十歳のエチュード』、二十歳といえば高野悦子の『二十歳の原点』であり、その頃といえば樺美智子であり、彼女の遺稿『人知れず微笑まん』を読んだ頃の自分を思い出します。でも、その頃、彼らはすでに同時代ではありませんでした。ビートルズにも学生運動にも乗り遅れ、且つ、新人類にもなれないのが私の世代です。ポリーニのショパンはそんな私がアイデンティティーを投影してしまいます。

Sunday, April 01, 2007

音楽がつなぐ縁

地元の療育サークルの依頼でミュージック・ケアのセッションをしました。7家族10人のお子さんで、ポコ・ア・ポコのメンバーもたくさん来てくれていました。体育館の広さを使って「元気に元気にゆっくりゆっくり」で、歩く・跳ぶ・走るから始めました。1時間20分くらい、いつもより活発で長いセッションでしたが、終わりは落ち着いてにこやかに終わることができました。

会場は私が18年前まで勤務していた小学校の体育館で、その体育館が完成して間もなく異動となりました。体育館のピアノとも18年ぶりの再会です。体育館に置かれているピアノですが、思いの外傷みも少なくて、小さいながらもよく鳴りました。体育館の前は講堂でした。講堂のグランドピアノは文字通りぼろぼろでした。弾いて弾いて、なんとか表現に幅が出るようになりました。ある年の入学式で、起立・礼・着席のC・G・Cの和音を意図的に弾きました。しばらくして、ある先生からそのときの私のピアノが素敵だったと言ってもらいました。今朝の新聞でその先生が退職されることを知りました。そんな今日、その学校でのセッションの依頼があるとは不思議です。松阪市の学校に勤務したのはわずか4年だけでしたが、そのときの出会いは今も広がりがあります。ポコ・ア・ポコにもなつかしいみなさんが来てくれます。音楽がとりもつ縁だと思います。

金子郁容のことをネットで調べていて松岡正剛の「千夜千冊」のサイトをヒットしました。『千夜千冊』(求龍堂)は10万円近くする本の本の全集で、書店で見たときはその値段に驚いて手にすることもなく、だから内容も知らずにいました。でも、金子郁容の『ボランティア』(岩波新書 1992)について書かれたサイトを読んで私の好奇心が煽られてしまいました。すごい言葉だと思います。ボランティア養成講座に向けて学ぶべきことは山のようにあることを予感して戦慄すら覚えます。この出会いもまた不思議です。

先週のNHKの「プロフェッショナル」は宮崎駿の特集でした。あの空間はあこがれです。彼もわき上がるものを止められない。明日は新年後の仕事始めです。何事も真正面から、そして、フランクにいこうとあらためて思う。