Wednesday, January 31, 2007

「千の風になって」

アテンザが戻ってきました。新車保障でパーツを何点か交換してもらいました。フロントのベンチレーテッドディスクのローターは新品になって白銀色に輝いています。気になっていたところはやっぱり交換の対象だったようです。細かな振動やノイズが気にならないレベルになっています。どこをどうしたということではなく、いくつかの小さなことの相乗効果としてそうなったのでしょう。このあたりはディーラーならではの車検整備だと思います。整備代金もリーズナブルでした。久しぶり、といっても日曜の夜以来の3日ぶりのアテンザは、四肢をそれぞれ分離かつ協応させて操るマニュアルミッションで実に気持ちのいいものです。運転も自ずからていねいになります。夜、CDショップの駐車場に佇むシルバーのアテンザは美しいと思いました。

そう、今夜、ふと思い立って秋川雅史の「千の風になって」のCDを買って来ました。これまでの死生観を超えるような概念の存在を思う詩と曲です。この歌がCDのベストセラーになっていることに少なからず安堵を覚えます。

ディック・ブルーナの絵本に「ミッフィーのおばあちゃん」があります。死んでしまったミッフィーのおばあちゃんのことが描いてあります。小さな子どもに死ということを話したくて書店で探した本です。死のとらえは難しい。難しいけど誰だっていつか死ぬ。死を求める人もいる。思いがけなく早く訪れる死を迎える人もいる。死にたくてもなかなか死ねない人もいる。「千の風になって」は、そう、ひとつのこたえなのでしょう。

Sunday, January 28, 2007

アクセラのDNA

夕方、アテンザを車検に預けてきました。代車はデモカーのアクセラです。色は深みのあるブルーでとてもきれいです。ライトオンでメーターがブルーに光ってCM通りですが本物の方がずっときれいで神秘的ですらあります。その輝度を連続して変えることができるところがまたにくい。輝度を落とす方が私の好みに合っています。(私のアテンザは2段階で変えることができるので輝度を低くしています。)ボディはアテンザよりも剛性が高いように感じます。足回りも硬くて路面情報を心地よく伝えます。アテンザと同じDNAを持つ車です。エンジンはわずか1500ccですが活発でよく走ります。でも、ATゆえの操作感はやはり身体が納得しません。あと、シートが高くてサイズも小さめで落ち着きません。走る、止まる、曲がるという車の基本的な資質は最高なのになんともったいない。アクセラに乗るならMTをチョイスしてシートを替えたい。などと思いを巡らせているとディーラーで見たRX-7とRX-8が目に浮かびます。

少し前にプロコフィエフの「シンデレラ」を少し聴いて、これは紛れもなくプロコの音だと魅了されました。1990年録音のアシュケナージ盤が全曲盤で、これもいつ廃盤になるかわからないので注文しました。

夜、NHK-TVの「その時 歴史が動いた」の「マッカーサーを叱った男 白州次郎」をあらためて録画で観ました。教育再生会議と国会の動向が気になるこの頃、GHQをして「従順ならざる唯一の日本人」と評せしめた白州次郎のなんと潔いことか!

Saturday, January 27, 2007

『薬指の標本』

このところ少なからず悩ましいのはフランクリン・コヴィーのサイズです。クラシックサイズを2年使ってきて、バインダーのリング径とリフィルの厚さに起因する手持ちの情報量の限界を感じてコンパクトサイズへの転向を考えています。すぐ売り切れる薄い紙質のユニバーサルの4月始まりのリフィルはとりあえず確保したものの、クラシックサイズの懐の深さと2年間使い込んだイタリアンカーフの手触りは手放しが難い。クラシックサイズの4cmリングがあったらそれで決まり!なのに、とつくづく思います。コンピュータのモニタもそうだけど、視野の絶対サイズは思考を規制する。何をどうみるかということにおける物理的条件によってコンテンツとの関係性もちがってくる、という仮説です。長期間“long term”のリフィルを携帯することで四次元のとらえもちがってきます。

小川洋子著『薬指の標本』もただならぬ一冊です。記憶の断片が次々とつながり始めました。なつかしいいくつかのシーンと音楽… 昨年の夏、音楽療法の勉強に行った東京、築地、聖路加病院…その近くのコーヒーショップとそこで出会った人たちのことが、また、思い出されます。いつか、同じ曜日の同じ時刻に行きたい。『薬指の標本』の人たちと出会えそうだから。

Monday, January 22, 2007

文体のリズム

鯨岡峻著『エピソード記述入門〜実践と質的研究のために〜』(東京大学出版会 2005)が届きました。教育が教育の言葉を取り戻すために、音楽が音楽の言葉を取り戻すために、私は質的アプローチが不可欠だと考えます。そこには哲学の言葉が必要です。そして、私は自分の言葉を見つけるための時間が欲しい。

映画「博士の愛した数式」の原作をいつしか読み終えたようです。ふと手にして開いたページから少しずつ読んで、小間切れだけど、たぶん、全部読んだように思います。小川洋子著の原作はどこを開いても小気味いいリズムに溢れていて、これが“文体”というものなんだとしみじみ思いました。私が仕事で使う“文体”の対極にある“文体”です。音楽もいいけど本もいい。

年明けに実家から『芥川龍之介全集』(岩波書店 1977〜)を全巻持って来ました。私がこの全集を買ったのは「書簡」が収められているからでした。「この頃ボクは文ちゃんがお菓子なら頭から食べてしまひたい位可愛いい氣がします。」(同第十巻)この書簡の言葉をいつも身近に置いておきたくて買った全集です。でも、今は、芥川龍之介の文体のリズムを身近に置いておきたいのです。小難しい漢語とていねいに紡がれたひらがながゆったりした時間の流れを与えてくれます。芥川龍之介も、ふと手にして開いたところから、いつでも読めるのです。

Sunday, January 21, 2007

ミュージック・ケア研修

昨日からミュージック・ケア初級総合研修三重会場が始まりました。スタッフの私にとっても基本の確かめの大切な時間です。心身ともきりりと引き締まります。155期生は22人という大所帯で、三重県だけでなく遠く県外からの参加もあってミュージック・ケアの広がりを実感します。そして、研修の合間にスタッフのみなさんとする久しぶりの気が置けない話に和みました。

Sunday, January 14, 2007

音楽の言葉

三重県いなば園音楽療法セミナーに行って来ました。テーマは「感覚統合と音楽療法」で、講師は全米音楽療法協会認定音楽療法士の岩田清美さんです。フロリダ州立大学在学中にシェリル・ケリーさんのもとでのインターンシップというキャリアがあり、音楽療法を感覚統合のパラダイムから紐解く言葉は私にとって意を得たりでした。アリゾナ州子ども神経発達研究センターの写真やアメリカの療育の現場を伝えるエピソードが大きな収穫でした。ゴール設定や評価に数値は用いながらも多職種のスタッフがそれぞれの言葉で重ねるミーティングが素晴らしい。今日の講師のような若い人たちが世界の様々な音楽療法の現場で学び、日本に伝えてほしいのです。そして、「音楽の言葉」で語り合いたい。

夜、琴の先生から電話があって、ヴァイオリンの弾き手を探しているとのことでした。私はもう弾けませんが、意欲的なコラボレーションに敬意を表したい。奏でることの価値は大きい。

Monday, January 08, 2007

散文

この休みに部屋で仕事の資料をいくつか探していて、そんなときは往々にしてちょっと気になる見つけものをしてしまいます。今回はライカの本です。いつの間にかライカの本が10冊余も集まっていて、パラパラと見出すと止まらない。ムックで記憶に残る写真を見ているうちに活字を追いたくなりました。神立尚紀『撮るライカ』(光人社 2004)はサブタイトルが「アンチライカマニアのライカ讃歌」で、報道の第一線でライカをメインカメラとして使っている著者が昨今のライカブームに真っ向からアンチテーゼを叩き付けています。使ってなんぼのライカというわけです。見せるべきはライカというカメラではなくライカで撮った写真とは然り!

探していたものは私が師と仰ぐ療育の専門家のWISCⅢの解析レポートです。発達検査は子どもの発達を一次的に数値で表しますが、それだけでは生活場面での支援に活かすことはできません。二次的に、散文として言葉で表すことが求められます。心に響く言葉でしか人は動かないのです。その解析レポートはA4で1枚です。わずか1枚のペーパーですが、親も家族も学校の先生もそこに腑に落ちる言葉を見つけるのです。言葉、語り、ナラティブ、今、こうした散文の力が見直されてきています。教育も音楽療法も、narrative based、質的評価に基づく在り様への模索をしていくときが来ているのではないでしょうか。

Sunday, January 07, 2007

春の予感

今日、1月の日曜日のポコ・ア・ポコは9家族のみなさんに来ていただきました。今日は寒いので1時間前からエアコンをフル稼働させましたが、やっぱり床は冷えます。でも、子どもたちはポコ・ア・ポコのプログラムにしっかりついてきてくれました。1年のいいスタートを切ることができたように思いました。終わっても、みなさん、その場を立ちづらいようでした。いよいよ寒さがいちばん厳しいときを迎えますが、私には来るべき春を予感させてくれるひとときでした。

Wednesday, January 03, 2007

「博士が愛した数式」の文脈

この年末年始のテレビとレンタルで映画を何本か観ました。その中で出色の作品はCATVで観た邦画「博士が愛した数式」でした。原作も制作も音楽も、すべてがひとつの文脈に沿っています。今日の日本のマジョリティの価値観、教育へのアンチテーゼを、ヒューマニズムあふれる視座からポジティブに正攻法で描いた映画といえます。そこにはひたむきな登場人物たちがいます。加古隆の音楽も映像に安定感を与えています。この映画の制作にかかわったスタッフのベクトルがこんなにも集約されていることが伝わる理由、それは、この映画の文脈の普遍性にあるのではないだろうか。もう一度観たいとレンタルショップに行ったら10枚近くあるDVDはすべて貸出中でした。すばらしい映画だと思います。

レンタルショップの本売り場では『Mac Fan』(毎日コミュニケーションズ)2月号が売り切れ寸前で最後の2冊から1冊買いました。特集は「MacでVista!」です。同じソフトでもWindowsバージョンの方が出来のいいソフトがあります。また、Windowsバーションしかないソフトもあって、1台でMacもWindowsも使えたらと思うことがあります。私のPowerBookG4のCPUは非インテルなのでVistaをインストールすることはできませんが情報は押さえておきたい。『Mac Fun』のこの売れ行きはちょっとないものです。

コンピュータ関係のこの年末年始のニュースでいちばん注目したのは、文部科学省が学校のコンピュータのVistaへのアップブレードの代わりに、なんと、Linux環境を無償配布するという発表を報じるものでした。私はさらに思うだ。TronではなくLinuxになった理由は何なのだろうと。

明日は仕事始めです。平成19年(度)は特別支援教育元年です。私の勤務校も名前が変わります。制度や名前が変わっても教育現場がこれまで大切にしてきた実践の積み上げを大切にしていきたいと思います。今日の中日新聞のトップは「子ども省」の創設だったように思います。子どもの育ちを国家プロジェクトとして横断的に強力に支える構造が必要です。

Monday, January 01, 2007

新年あけましておめでとうございます

新年あけましておめでとうございます。ポコ・ア・ポコともども本年もよろしくお願いいたします。私は今年も新しい局面が訪れるというより自分から呼び込みそうです。

大晦日のフィギュアスケートの番組「オールジャパン メダリスト・オン・アイス2006」の音楽は金聖響指揮京都市交響楽団の生演奏でした。PAを通しているとはいえ、聴き応えのある演奏で堪能しました。中野友加里さんの「クロディーヌ」を何度も聴きました。この曲はディズニーの「A Whole New World」と旋律の構造に共通するものがあるように思いました。狭い音域をゆったり行き来して終わりそうにない旋律線は宙を舞うような感覚です。優雅な演奏でした。私もまた奏でたいと思う。

アテンザはタイヤをスタッドレスに交換して洗車、室内も掃除機で掃除をしました。通勤で1日140キロを走ってキズだらけのボディも愛おしいアテンザです。今日も初詣の滝原宮へのアップダウンが続く42号線で余裕の走りでした。シフトの1回1回が新鮮です。ドライバーの意思に敏感に反応する車は“新しい脳”も刺激するように思います。運転が脳トレです。遠出の計画を立てようか…