Sunday, September 02, 2007

9月の日曜日のポコ・ア・ポコ

9月の日曜日のポコ・ア・ポコは9家族のみなさんに来ていただきました。私は夏の疲れが出て始まる前から少々おぼつかないところがありましたが、子どもたちが来てくれるといつもの元気が戻って密度の濃いセッションとなりました。曲の終わりの「静」をみんなで感じることの達成感はいつも素晴らしい。今日はまた初めての見学の方が4人みえました。その中にミュージック・ケアの基本を押さえた動作をされる方がみえて驚きました。かつて私が地元の療育センターでいっしょにセッションをしていた頃の流れを汲むスキルとのことで感慨深いものがありました。夏の疲れもどこかに飛んでしまいました。

この南の風のブログの引越を考えています。bloggerはGoogleが運営するワールドワイドのサービスでそれだけに価値観も様々で係わりたくないサイトもあって残念です。今、@niftyのcocologを試しています。@niftyはもう11年も使っています。インターネットが普及する前から、Windows3.1の頃から、「ニフティ・サーブ」というパソコン通信の頃からの付き合いです。南の風のホームページも@niftyで1998年の開設ですから今年で9年目になります。ブログも@niftyということになりそうです。

Saturday, September 01, 2007

魚屋と野菜の直売所

朝の空気に涼しさを感じるようになってきました。しばらく雨が続くとのことですが蒸し暑い(×_×);;;

木曜日、知人から自宅の畑で採れたゴーヤをいただいてその新鮮な色つやにしばし見とれてしまいました。夕飯に使おうかと思いましたが、夜のNHK-TV「今日の料理」はゴーヤ料理の特集です。これを観てからでも遅くはないとゴーヤを冷蔵庫に入れておきました。「今日の料理」の講師は陳健一で、四川風ゴーヤ料理の味をあれこれと想像しているうちに終わってしまいました。私はゴーヤ初心者なのでチャンプルーから始めることにしました。今日、ぶた肉と豆腐を入れて作ってみましたが、作りかけてみると炒める順序に疑問を感じたり塩がなかったりと、素材そのものがしっくりなじまないものになってしまいました。でもゴーヤは体によさそうで、これは再チャレンジです。

今日は伊勢で魚屋に行ってなつかしいやら新鮮やらで見入ってしまいました。平たい冷蔵庫に敷かれた氷の上に魚が一皿いくらで並べてあって、その皿が陶器で驚きました。その横では二人の男の人が魚を捌いていて魚屋然とした空間です。かなり広い店で、駐車場もないのによくはやっているとのこと。地方都市で魚屋が魚屋としてそうして存在していることにほっとするものを感じました。

あと、スーパーの一角に設けられている地元の農家から生産者の名前入りで作物が並べられている売り場の活気にも注目してしまい、私の目はいつしかリサーチのそれになっていました。新鮮で安い。見ているとよく売れる。多種少数生産で農家が値段と出荷先の直売所を決めて成功している大分県大山町を思い出しました。伊勢の市場では取り扱う農作物の量がかなり減ってしまったと聞きました。農作物の流通はいつしか大きく変わっていました。変化への対応もたいへんだと思いますが、今日見た「直売所」は魅力的でした。

この夏休みの音楽療法のセッションは依頼で6回、体験研修を1回行いました。気づいたのはバチの毛糸の帽子やカップ、ビニール袋の傷みです。今日は新しい袋を調達に行ったのですが、素材の厚さが0.01mmのものしかなくて、たぶん、今使っているものと同じでちょっと頼りないように思います。でも、新調はしなければならないので1ロール購入しました。1ロールで2000枚とのこと。明日のセッションには間に合いませんが、この秋の間にカップの制作もしたいと考えています。

Sunday, August 26, 2007

残暑厳しくとも晩夏の色

昨日は久しぶりに実家の畑の伸び切った夏草を草刈機で刈りました。草といってもつる性の植物がからんでいて草刈機を動かすこと自体に力が要って予想外の重動労となりました。体中、とくに両腕の筋肉に乳酸がたっぷり蓄えられた感じで力も入らずだるい。熱中症対策は、水分補給は薄めのゲータレードと水、首周りに日焼け止め、そして、大きな麦わら帽子と、こちらは万全で大丈夫でした。でも、基礎体力が落ちていることをまさに実感してしまいました。今日はひたすら休養です。

松阪から伊勢の田んぼでは稲刈りが始まっていて、コンバインや乾燥機の音が低く流れる色づいた田んぼはなつかしい。色づくといっても葉はまだ青いところが残っていて、この時期に稲刈りをするのはひとえに台風対策です。残暑は厳しいが田んぼの空気は晩夏の色が始まっています。

金曜日は三重県特別支援教育研究大会に行って来ました。私が出席した分科会の提案は教育的かつ学術的でした。現場の研修に学術的な手法がより加わることで教育界の研究方法と評価も変わってくるものと思います。学術的とは科学的検証と体系化です。校内ではなかなかこのような研修に出ることができなくて血が騒ぎました。そして思い出したのはATACカンファレンス京都2007です。参加申し込みも始まりましたが行けるでしょうか!? 今年から会場は京都市勧業館みやこめっせです。

先週の研修で脳の使い方の簡単なテストがありました。私は相当な右脳使いとの結果でした。同じグループには正反対の左脳使いとの結果の人がいて、以前から彼は私とちがうと思っていましたが今回のテストの両極端な結果に少なからず驚きました。しかし、仕事上の協力はなんら支障もありません。むしろ私は彼から学ぶ事が多い。

iTunesつながりで為末大のブログを読んでいます。今回の世界陸上はよもやの予選落ちでしたが、そのことを予感させる、そして、不調の自分自身のことをよく分かっている彼の言葉は真摯であり、ますます応援したくなりました。

今日は「ピアノの森」のサウンドトラックCDが届きました。ピアノの音が聴きやすい。アシュケナージが音楽監督と演奏を担当するに至った文脈にとても興味があります。アシュケナージの演奏は理に適いながらも斬新で素晴らしい。ところで、この映画の上映は7月21日に始まりましたが三重県では早々と8月9日が最終日でした。それほどマイナーな映画なのだろうか…

Monday, August 20, 2007

海人写真家古谷千佳子の写真

先週の土曜日、2年ぶりにミュージック・ケア全国セミナーに参加しました。3日間の初日のみの参加ですが、なつかしいみなさんとお会いすることができて、私の直接の“師匠”にも挨拶と近況報告をすることができました。会場は大阪府堺市のビッグ・アイで、初級総合研修に通って最後の日に食事をしたところです。私はこのところの疲れが出て集中力に欠けていましたが、さすがに実技のときは心身とも目覚めていました。実技はもちろん、会場の使い方や活かし方など、ちょっとしたことも勉強になります。

今夜はKORG SP200で弾く“ピアノ”をCD-Rに焼く作業をしました。手順は、Line OutからMDに録音、USBインターフェイスSoundBlaster Digital Music PXを介してMacのSound it!で録音と調整、iTunesでCD-Rに焼きました。録音レベルはどうしても低めに設定しがちなのでSound it!でゲインを3dbアップしました。曲自体は二部合唱「童謡メドレー」の伴奏でとくにどうということはないのですが、驚いたのは、KORG SP200の音のクオリティの高さです。ずっと使って来たキーボードなのにこんな音だと知りませんでした。アンプとの相性が原因なのでしょう。ファイルは最終的にAACとしました。WAVのほぼ1/10です。音質は私のシステムではちがいがわからないのでサイズは小さい方がいい。

昨夜の毎日放送制作「情熱大陸」は「海人写真家 古谷千佳子」でした。14歳のときの沖縄旅行がきっかけで15歳で沖縄に住むことを決意、大学を卒業後沖縄で海人修行をしてから東京戻って写真を学び、再び沖縄に住んで海人たちの写真を撮り続けています。その写真はダイナミックでありながら細部まで描き切っています。ネイチャーとしてもポートレイトととしても戦慄を覚えるほどです。とにかくすごいの一言です。そして、沖縄の自然のなんと豊かなこと! スローライフというが漁は決してスローライフではない。古谷千佳子の写真もそうだ。細部までこだわった絶妙の構図と仕上げだ。緊張感がある。

Wednesday, August 15, 2007

『ギルバート・グレイプ』

暑い。どうしようもなく暑い。アテンザの車外温度計は40度を超えています。仕事の生産性も冷房頼みのこの頃です。気象情報では高気圧が居座っていて台風もその周りを回っているとか。暑さがピークになってからブログの更新も滞っています。

ゆっくり本を読んでいる時間はないのですが、猛暑の中、立ち寄った古書店で見つけて吸い込まれるように読んでしまっている本があります。ピーター・ヘッジズ著、高田恵子訳『ギルバート・グレイプ』(二見書房 1994)です。この作品は映画化されて、知的障がいの少年役のレオナルド・ディカプリオが素晴らしい演技を見せています。その原作です。映画も素晴らしい出来ですが、原作はまたちがうすごさがあります。知的障がいの家族がいる家庭のたいへんさとか悲しみとか、日常をそんな言葉でとらえることを蹴散らす勢いで家族の日常を描き切っている。かといってシリアス一辺倒ではない。ユーモアもある。そうでないと押しつぶされてしまうのだが、これも生きる知恵のようなものだ。冒頭から「アーニーが死んでくれたらと思う日もあれば、そうでない日もある。いまこの瞬間は、走ってくる車のまえに彼を押しだしてやりたい気持ちでいっぱいだった。」とあって、これだけでも文脈の深さと重さが私の目を釘付けにしてしまうのだが、それが移動遊園地のトレーラーを待つ場面になんの違和感もなくすっと書き込まれている。映画も出色の出来だが原作はまたちがうすごさがある。ただ、この本が新品同様なのに古書店でわずか105円で並んでいたことが、悲しい。

しばらく古書店に行かなかったらいろいろ“入荷”していました。他に買ったのはこの3冊。ローリー・ムーア著、岩本正恵訳『アメリカの鳥たち』(新潮社 2000)、トニー・パーソンズ著、小田島恒志・小田島則子訳『ビューティフル・ボーイ』(河出書房新社 2001)、アレックス・シアラー著、金原瑞人訳『13ヵ月と13週と13日と満月の夜』(求龍堂 2003) ローリー・ムーアは私と同じ年齢のアメリカの作家です。カバーのポートレートを見ると齢を重ねた存在感のある彼女がこちらを見ていて、「あなたはどうなの?」と問いかけられているようです。

PowerBookG4を使い始めて2年になろうとしていますが、なんと、「バッテリー交換プログラム」(リコール)の対象であることが判明して早速バッテーリ交換の申し込みをしました。これまで何事もなかったことも幸いしてバッテリーが新品になるのは正直なところうれしい。

Monday, August 06, 2007

料理がおもしろい

朝から勤務校で音楽療法のセッションと溜まった事務処理、午後からは休暇を取って団地の管理組合の用事と慌ただしい一日でした。管理組合の役目は今日で終わって肩の荷が下りました。法人の代表は重責でしたが、いろんな職種の方と接する機会は私にとって貴重な経験でした。コミュニティーの在り方についても深く考えさせられました。

帰宅してシェフ&キッチンドリンカーで一息です。料理はそれぞれの手順と出来上がりを合わせる見通しを考えながらするので普段使わない脳の働きがあるように思います。盛りつけやテーブルコーディネートもほんとに楽しい。料理をしていると料理に没頭してしまいます。スーパーで食材を見て回ったり、冷蔵庫を覗いたりしてメニューをあれこれ考えるのも実に楽しい。何ができるのか、これはアヴァンギャルドでもあります。同じ料理を同じレシピで作っても毎回ちがう。だからますます料理がおもしろい。

夜、日曜日のポコ・ア・ポコのご案内葉書を作りました。9月から12月の予定なので真夏から初冬までということになります。夏から冬にかけては季節の彩りがいちばん輝くときと思っています。今回のご案内に書き添えた私からのメッセージです。「映画『ピアノの森』を見て自分の音楽を奏でることの大切さとむずかしさをあらためて思いました。ポコ・ア・ポコも自分の音楽が奏でられるようにお子さまひとりひとりの参加のスタイルを大切にしてまいります。」

Sunday, August 05, 2007

県立高の入門講座

県立高の入門講座に行く機会がありました。かつて「定時制」とよばれていた高校で、今は3部制の単位制の授業が行われています。履修の仕方が生徒のニーズに合わせて柔軟に選択できるようになっています。教科の設定も生徒の幅広いニーズに対応したもので、先生方の努力に頭が下がりました。教育の最前線の息づかいを肌で感じました。

映画「ピアノの森」で一ノ瀬海がコンクールで弾くモーツァルトのピアノソナタK.310が聴きたくてサウンドトラック盤を探しましたがこの近辺では見当たりません。CDを探しながら本売り場も回ると『Mac Fan』(毎日コミュニケーションズ)9月号に気になる情報がいくつかあって購入しました。長期的に見るとYAMAHAのXGの音源モジュールがIntel MacのWindows OSでドライブできたらいちばんいいのですが、それはやってみないとわからないこと。次期MacOSX Leopardのブートキャンプの評価を待つべきでしょう。

Saturday, August 04, 2007

映画「ピアノの森」

映画「ピアノの森」を観ました。三重県では桑名でしか上映してなくて、しかも1日に1回の上映のために往復160キロというたいへんな映画鑑賞となりました。でも、その価値はありました。この夏のいちばんのエピソードかも知れません。ピアノを弾くことの基本の“き”を押さえた練習や自分の音楽を奏でることの大切さと難しさなど、“知る人ぞ知る”人にとっては自分が語っているような錯覚があることでしょう。私もその一人ですっかりはまってしまいました。私自身とオーバーラップして涙するシーンもありました。基礎練習の大切さを思い知ってよその大学の練習室に忍び込んでピアノを弾いた日々は昨日のことのように思い出します。“楽譜通り”に弾くことの価値をどう評価するのかしないのか、それが“世界”のパラダイムに委ねられるラストシーンはうまくまとめられ過ぎた観があって不満もありましたが、でも、それは仕方のないことなのでしょう。理に適った演奏も様々な在り様がある。そんな思索に耽る映画「ピアノの森」はもっともっと観てほしいのです。三重県での上映が1館だけ、しかも1日に1回の上映は本県の文化水準を現しているのだろうか。残念でなりません。

Friday, August 03, 2007

『バッテリー』

昨日今日と音楽療法のスポットのセッションをしました。初めてのお子さんが多いので音楽遊びのようなゆるやかな枠組みとしましたが、1時間以上、みなさんよく集中してくれました。ポコ・ア・ポコに来てくれているお子さんが目を輝かせながら参加してくれていたことも印象的でした。

今日は午後から新しくできた障がい者の施設の見学に行きました。50室だから規模としては中くらいだろうか。街中から離れた山の中に建つリゾートホテル風の建物は立派で眺望もいい。すでに満室でニーズは高い。必要な施設だ。同時に、あるべき姿ではないとも思う。

水曜日のNHKの「クローズアップ現代」であさのあつこ著『バッテリー』を取り上げていて興味深く観ました。20代から40代の女性にたいへんな人気とのこと。本気になれない、本気になるものがない、かつて本気で取り組んだのに諦めた、そんな自分に気づかされたとのこと。本気になれないのは何も怠けているばかりではない。焦っていても本気になれないこともある。慌ただしい毎日を過ごして仕事もきちんとこなしていても本気でないこともある。そんな自分に気づいた人たちが本気の自分を探し出すことってすごく大事に思える。著者は“主婦”でそんな自分に気づいて『バッテリー』を書いたとのことだ。

Saturday, July 28, 2007

鈴鹿の風


風の会では私もタンデムシートでコースを回ってサポートしました。8耐の予選直後とあってホームストレートではピットからたくさんの応援をもらいました。障がいのある人がバイクに乗って“風”を全身で感じる体験、この発想の文脈が素敵だ。

8耐は数千億円の経済効果があると新聞で読んだことがあります。バイクフリークたちのエネルギーはすごいものだ。バイクが好き、ただそれだけでこれだけの人が鈴鹿に集まるのか! 私もまた乗りたいものだ。

Friday, July 27, 2007

歌うF1マシン

8月の日曜日のポコ・ア・ポコはスケジュールが詰まってしまい、申し訳ないのですがお休みをすることにします。昨年も8月はお休みをいただきました。夏季休業中は何かと慌ただしくて思うように動けなくて残念です。

昨日今日と名古屋に出張でした。一昨日も出張だったので3日連続です。夏休みなので平日も子どもの姿があちこちで見られて、とくに名古屋駅では親子連れについつい目が行ってしまいました。お出かけの装いはちょっとぎこちなくて微笑ましいものです。

音楽療法の研修講座で使う音源をネットで探していて、ルノーのF1マシンがエクゾースト音で音楽を奏でるムービーを見つけました。車やバイクのエクゾースト音を「サウンド」や「ミュージック」ということがありますが、エクゾースト音で平均率の音楽を奏でるのを聞くのは初めてで唖然としてしまいました。サンプリングではなく実車です。2006年の映像らしいのでV8か? V10のようにも聴こえます。エンジンをコントロールしているのはコンピュータですが、プログラムにミスがあるのか音程に難ありで、これはご愛嬌。演奏が終わると拍手喝采です。音を探している途中で「Ferrari VS Lamborghini」を見つけてiTunesに入れました。ムルシェラゴのエクゾースト音がいちばんぞくぞくします。こうした音が好きになるのは人間だけだと思います。なぜ人間だけなのか。それは脳の発達によるものだと私は考えます。

明日はスズカ8時間耐久レースの前夜祭で夕方から風の会のボランティアに行きます。大型バイクのエクゾースト音が楽しみです。

Sunday, July 22, 2007

映画2本

ポケモンの2007年の映画はますます“哲学”の深みにはまってしまったようです。SF作家たちがいつか突き当たる“哲学”は時間と場の整理です。これはよくある話ですが、ポケモンの2007年の映画はその解決策を音楽に設定しています。草笛で奏されて受け継がれた「オラシオン」という短い曲がメガシステムで街に響き渡るとき、あり得ない遭遇で始まった戦いが終わるというものです。あり得ない、というのは、同一の時空間で存在するはずのにない「神と呼ばれしポケモン」のディアグラとパルキアとの遭遇です。時空間の歪みがその原因とされているようですが、その歪みを間接的に特定の音楽があるべき秩序に戻すという発想が音楽療法に通じる概念だと私は思います。「四次元を構造化する音楽」という私の持論にも通じる。「オラシオン」のメロディーを決めるに当たって音楽的にどんな手法が取られたのか興味津々です。ここまで子ども向けのアニメを考えなくてもいいのですが、ポケモンの映画のスーパーバイザーは高校時代のクラスメートで、最終的に彼の判断で作られた映画は他人事ではないように思ってしまいます。ポケモンの映画は年々哲学的になって来ています。小さな子どもには難解極まりないこの夏の映画です。

昨夜、NHK-BS2で映画「ドラムライン」を放送していて最後まで観てしまいました。アメリカの大学のマーチングバンドの話で、ストーリーはとりたてて云々するほどではありませんが、演奏そのものがすごかった。リズムの魅力とパワーを堪能しました。

Saturday, July 21, 2007

岡田有希子のベストアルバム

朝から散髪に行ってしばし古本屋を回ってCDを探していました。80年代のポップスはなかなかなくてレンタルショップでレンタルすることになりました。その中の1枚が岡田有希子のベストアルバムです。彼女のことは自殺するまで知らなくて、ティーンエイジャーが後を追うように自殺して社会問題化しても彼女の歌を知らなくて、でも、あるとき、「くちびるNetwork」の楽譜を歌本で見つけてピアノで弾いて、その理に適った音楽的な構造に気づいて作曲者を見たら坂本龍一で驚きました。その楽譜はコピーして今もファイルしてあります。今回、夏の音楽療法の研修講座で使うエピソードを探していて「くちびるNetwork」を思い出してCDを探したわけです。ベストアルバムの歌の作詞作曲、編曲を見ると豪華な顔ぶれで今更ながら彼女の資質への業界の期待の大きさが伝わってきます。歌は上手い。音楽的にも凝った作品があって面白い。「Believe In You」の上下行するスケールはピアノで音を確かめて楽譜に落としてみたいものだ。この歌は少し前にストリングスの演奏とリミックスされましたがオリジナルのアレンジの方が曲のよさをストレートに楽しめるように思います。歌の音源もいまひとつです。

知人が車を買い換えてアルファロメオ159に乗っています。「大きい」と本人が言うように近くで見るとかなりの大柄なボディで、フロントのオーバーハングのボリューム感がかなりあります。“大人の車”でエンジン音も静かだとか。まるでアルファロメオではないようなエピソードばかり聞きましたが、運転席に座るとそこは異文化の世界で刺激的です。太く小径のハンドルとギアチェンジのパドル、メーターの中心に真紅のLEDで光るアルファロメオのマークがドライバーを挑発しているかのようです。ついつい走り込んでしまいそうですが、車の制御は電子システムが主導しているかのようで乗せられている感覚があるとか。それでも6速マニュアルミッションのモデルがあるところがおもしろい。もっとも受注後にイタリアから船に乗せられて何ヶ月もかかっての納車とのことです。

Thursday, July 19, 2007

『ダカフェ日記』

ブログ「ダカフェ日記」が写真集になって思わず買ってしまいました。ブログは1日3万件のヒットというからたいへんな人気で写真集もきっとよく売れると思う。『ダカフェ日記』はただただ家族の写真が続く写真集です。子どもがかわいいのは当たり前ですが、「しあわせって、きっとこういうこと。」と帯にあるような「しあわせ」の凡化モデルを見てしまうのかも知れない。撮影は父、写真とデザインが仕事だからテーマに沿って作品をものにする才は備えている。その写真たちはデジカメで撮られたものだけど適度に緩んでいて銀塩っぽいあたたかさがあります。写真そのものはピクセル等倍で見ると手振れもきっとかなりある。でも、ハイテクを使っていてハイテクを超えた表現がある。(ちなみにカメラはEOS 5でレンズはEF50mmF1.4だと思う。)

久石譲の「spring」も聴き始めると何度も繰り返して聴いてしまう曲だ。BenesseのCMで使われたのはほんの一部で、曲の展開はアルバム名の「srories」を連想させます。弾いて楽しい曲です。あっさりとも弾けるし、こってりとも弾ける。私にその表現力があればと思うが色彩の変化が煌めく音楽を奏でたい曲です。それでいて理に適った演奏をしたいと思う。

Monday, July 16, 2007

幾たびかのThinkPad535E

朝から地元の中学校のグランドの草刈り、昼前から4時までは自宅の剪定と、一日中外仕事をしていました。午後から蒸し暑くて、水分補給の内冷とクーラーの効いた部屋で身体を冷やす外冷を繰り返しながら一気に木を整理しました。父の形見の鋸を実家から借りて来ての仕事は思いの外はかどりました。木を育てることの難しさを思う。

夕方、ふと気になってThinkPad535Eを起動、XGworksのデータを調べました。昨年のいちばん新しいアレンジまですべて保存してあってホッとしました。いざというとき、10年前のThinkPad535Eが助けてくれます。一昨年、Lavieが壊れたときはPowerPointのプレゼンテーションを引き受けてくれました。昨年のライブもThikPad535Eで演奏しました。10.4インチのモニタはスコアを書くには狭いけど当時の環境はThinkPad535Eだけです。7年前、三浦半島に持って行ったのもこのThinkPad535Eでした。XGの音源モジュールをシリアルで繋ぐとあのなつかしい音楽がよみがえりました。20世紀のThinkPad535Eと21世紀のPowerBookG4を繋いで音楽を移すというのも実に感慨深いものだ。

台風、地震と自然災害が続きました。私たちの生活がこんなにももろいものだったのかと愕然とする映像が報道されます。“経済大国”のはずなのに、今日、テレビで見る光景は何なのだろう。お年寄りがひとりで住む木造の家屋が全壊する様はほんとに痛々しい。これまでこの国が積み上げて来たはずの住文化は何なのだろうと思わずにいられない。

Sunday, July 15, 2007

三浦半島のマクドナルド

昨日は台風4号の豪雨の中、桑名と伊勢を往復して200キロ走りました。前を走る車のテールランプがどうにか見えるような豪雨なのに100km/hで流れる東名阪はただ事ではない。一夜明ければ台風一過の青空で風がとても爽やかでした。洗濯物も一気に乾いてまさに爽快です。今日も「休日のピアノ」が聴こえてきました。

今日はアナログ音源をパソコンに取り込むデバイスを調達しました。やっと、ほんとにやっとです。デバイスはSound BLASTERの「Digital Music PX」で、音質では普及品といったところです。でも、CDへの書き出しとなると結局CDの規格になってしまうので私の使い方では十分な性能です。おまけにLimited EditionとはいえMac対応の「Sound it!」がバンドルされていて、なぜかフルバージョンのソフト単体より安価でコストパフォーマンスも上々です。デバイスの設定で一思案しましたが、「Sound it!」はWindowsで慣れているのでさっそく数年来の懸案の処理をしました。「今日の料理」と「スパニッシュ・コーヒー」をデジタルデータに変換してiPodに入れました。poco a poco のセッションで使う全曲がiPodのプレイリストになったわけで、これは心強いバックアップです。あと、「おかあさんといっしょ」の打ち込みを昨年アレンジし直したので、これは音源モジュールからダイレクトにMacに入れておきたい。

PowerBookG4をこうして使っているとMacはマルチメディアの使い勝手に優れていることがわかります。あと、私のYAMAHAのXGシステムがMacでドライブできたらいうことなしなんですけどね…OSのデュアルブートならできるけど資金難です。Windowsと縁が切れない理由のひとつがこれです。

週末は閉店間際のパソコンショップに寄ってVistaマシンのメモリを調達しました。512MB増設して計1Gになりました。モニタ上でのスピード感はいまひとつですがHDDへのスワップは確かに少なくなりました。LEDの点滅とアクセスノイズが減ったことの方がストレス軽減に直結します。モニタ上のスピード感はCPUによるものだと思います。

徳永英明の「VOCALIST」をiTunes STOREで試聴してたまらず購入しました。少しハスキーで甘い声、オリジナルと距離をおいてクールで、でも、ひとつひとつの言葉に思いをこめて歌っていることがすごくよく伝わってくる。これはただ事ではない。こんな歌にサックスでオブリガードを合わせたら最高だと思う。聴きながら夜の街を走りたくなります。

マクドナルドのハンバーガーショップに行くとこの頃必ず思い出すのは神奈川県の三浦半島のマクドナルドです。暗くなる海を見ながら、なぜか思い出すのは雨の夕方ばかりですが、空席ばかりの平日の黄昏のひととき、よくひとりで過ごしたことを思い出します。もう夏なのにいつも熱いコーヒーばかり飲んでいました。

Sunday, July 08, 2007

Vista

7月の日曜日のポコ・ア・ポコは14家族のみなさんに来ていただきました。こんなに大勢のセッションでボールのやりとりをするのは始めてでしたが、ひとりひとりのお子さんとコンタクトを取れたように思いました。暖かく拍手をしていただいたみなさんに感謝しています。

昨日の朝、テレビで知るまで七夕ということに全く気がついていませんでした。空は雲に覆われていて星は全然見えない。星があまり見えないから七夕の物語が一層深い文脈を感じさせるのだろうか。でも、子どもには天の川を見せてあげたいものだ。

これも昨日、音楽療法+αのキーワードで検索をしていて『大作曲家11人の和声法』の著者、中村隆一のブログをヒットしました。「和声学講座に何が起きているのか?」というダイナマイトのようなテーマです。一言で言えば、「禁則こそ心を揺さぶる音楽を生み出す」ということだと思います。中村隆一は「アクティブな和声」と表しています。和声学上の「禁則」は私も楽曲を調べたことがあります。『明星』の付録の譜面にあるコード進行をひとつ残らずチェックしました。コードネームからわかる「禁則」を犯したのはただひとり、桑田佳祐だけでした。でも、それがどうして「禁則」なのか! 「理論家は何を隠したのか?」というブログの「Section 10」も興味津々です。

今年も夏の音楽療法の研修会をすることになって、準備をする時間は全然ないのですが、音楽の聴き方が変わってきていることは自分でわかります。今年は音響がひとつのキーワードになりそうです。「身体で聴く音楽」「四次元を構造化する音楽」が持論です。

自宅のデスクトップのDELLから音が出なくなって、サウンドボードのドライバに不具合がありそうですが不可解な症状で修復は難しく、昨夜、OSの再インストールをすることにしました。石器時代のようなMS-DOSコマンドのFDISKでHDDをフォーマットしてのクリーンインストールです。ところがサウンドボードがインストールできない。2種類のボードを試したけどダメ! わからない! 音は出なくてもせめてインターネットだけでも使えるようにしておこうと無線LANのドライバをインストールしたら、なんと、起動しなくなってしまいました。ドライバはIE5.5対応とのことで、これが起動しなくなった原因なのでしょう。だけどIE5.5なんてどこにもない。それにしても一昨日までどうやって動いていたのだろう。連日睡眠時間4時間で迎えた週末はほとほと疲れ切っていてWindows98SEもここまでと思い切りました。XPかVistaか…Macだけではやっていけない付き合いもあって1台はWindowsです。Intel-Macでのデュアルブートは資金面でボツ! 今日はVista Home Basic、スーパーマルチドライブ付46,980円を見つけて調達しました。自作より安い。RAM512MBではさすがに重いけど私のVistaの使い方だと実用の範囲です。モニタは新調せずにDELLのCRT17インチで、液晶に慣れた目にやさしく、そして奥行き感があってすごくきれいに思えます。

新しい携帯はこの1週間の使い方では一度も“圏外”になることがありませんでした。派手に思ったボディのオレンジ色は使ってみると意外に落ち着いた色調でほっとしています。防水も心強い。ただ、防水仕様のためだろうか、通話用のスピーカーの音質はいまひとつです。ネットで調べたらこの端末は探している人が少なくないようでラッキーでした。予備のボディがほしいところですが、1〜2年のうちには同タイプの新型が出るだろうし、その時はその時の選択をすることになるでしょう。

Thursday, July 05, 2007

NICU

このところ帰りが遅く、昨夜のNHKの「SONGS」はアテンザのBOSEで聴きました。矢沢永吉のアコギとボーカル、布袋寅泰のエレキギター、エルトン永田のオルガンの「もうひとりの俺」が圧巻でした。歌も演奏もすごいがいちばんすごいと思うのはアーティキュレーションだ。テンポの揺れが軌跡を引く計測器の波形をスローモーションで見ているように思われました。布袋寅泰のエレキはオールドなのだろうか、枯れた音でした。その音をギュッと締める布袋のテクニックはただものではない。矢沢の歌もいちばん冴えていたように思いました。録画は来週の再放送を予約です。

今日の夜11時はNHKの「にっぽんの現場」でNICUのドキュメントを観ながらコンビニ弁当を食べました。私が担任した子どもたちはNICUの“卒業生”です。生きろよ!と心の中で言い続けながら観ていました。

Saturday, June 30, 2007

休日のピアノ

慌ただしい1週間が過ぎて週末です。木曜金曜と小学部の宿泊学習で泊まり勤務で、家に帰ると家事の山! 朝から洗濯を2回してサンルームで干していると、となりの家からピアノの音が聞こえてきました。私も小学生の頃弾いた曲で、曲も曲集も思い出せませんが、弾こうと思えば今でも指が動くくらい好きで練習しました。きっと『バイエル』です。続いてバッハのメヌエット。もどかしい弾き方がなんとも愛おしい。ピアノが好きになってほしいと願わずにいられませんでした。

今朝は洗濯機を回しながら先週放送のNHKの「週間ブックレビュー」を録画で観ていました。ゲストの「おすすめの1冊」で、村上春樹訳、レイモンド・チャンドラーの『ロンググッドバイ』(早川書房 2007)が取り上げられて興味深いコメントがいくつかあって活字にますます惹かれていくのでした。携帯の手続きの待ち時間に読んだのはやはり村上春樹訳、レイモンド・カーヴァーの『大聖堂』(中央公論新社 2007)です。今日は村上春樹の訳が身近に思われてなりませんが、レイモンド・カーヴァーの世界に抗い難い引力を感じます。待ち時間が濃密な時間となりました。

携帯のキャリアをMNPで換えました。キャリアによって特定のエリアが切れやすくなるのは仕方のないこと。それだけで性能を云々するわけにはいきませんが、古巣に戻って使い勝手はぐんとよくなって「満足度1位」は納得です。新しい携帯といっても1年以上前のモデルで量販店の在庫のラスト1台でした。防水、対衝撃で、色はオレンジです。旧いモデルなので対応メモリーカードの容量が512MBだったりワンセグ非対応だったりとしますが、電波の安定度、処理速度の速さ、通信速度の速さなど、同じ3Gとは思えないくらいです。ところが、そんな今日はアメリカのiPhone発売が報じられてちょっと複雑な心境です。日本での発売は来春だとか。携帯でMacOSがあんなに走るとは驚きですが、キャリアはどこになるのか、それが気になります。

Wednesday, June 27, 2007

豚肉と野いちご

深夜、といっても11時過ぎからカレーを作りました。このところハヤシに凝っていたので今夜はさすがにカレーです。どちらも帰りが遅くても温めるだけでOK! ニンニクとたっぷりのオリーブオイルを弱火でゆっくり温めてから野菜を入れます。ローレルの葉っぱを大きくちぎって入れて、スパイスはめんどうなのでオールスパイスを使います。ルーを使っても工夫すればそれなりの出来になろうというもの。朝までゆっくり冷まして冷蔵庫に入れておきます。そうそう、今日はポークカレーで豚肉のブロックを包丁で薄く切りました。ピンクと白い脂肪のコンビネーションがとてもきれいでした。

先週の続きになりますが、今私が使っているテキストエディタはSmultronというフリーソフトです。Smultronとはスウェーデン語で「野いちご」の意味らしく、その発音すらわかりませんが使い勝手は上々です。英語のサイトからダウンロードしましたがいきなりの日本語表記で入力も今のところ問題ありません。Windows同様テキストエディタはプログラム開発やHtml編集のために開発されたものですがただの物書きにも重宝しています。お洒落なデザインでMacOSXとお似合いです。アイコンはいちごを真上から見たイラストで、そうと言われなければスウェーデン語を知らない限りいちごとは思えません。いちごを真上から見るという発想がすごく面白い。機能面ではタブのクリックで複数の文書を瞬時に行き来できるところもいい。使いやすいエディタです。

Saturday, June 23, 2007

「知子の情報」の卓見

昨日、職場でファイル管理の話をしていて「知子の情報」というアプリケーションソフトを思い出しました。このソフトはWindows3.1か95の頃発売されたもので、とにかく古いのですが、しばしば気になっていました。名前が少々あやしいけど、文書管理と検索にかけては「卓見」といえるアイデアが盛り込まれているように思います。思う、というのは、使いかけて間もなくLavieが壊れ、それからMacを使いだしたのでWindows専用のソフトが使えなくなって「知子の情報」を云々するまで使い込んでないからです。弁護士や大学教授に人気があるとか。このソフトはテキスト情報を1つのファイルにまとめてしまうところが卓見に値する。そのファイルはときとして膨大になるが、テキストの検索はコンピュータにとってはお手ものもだ。このブログも1年1ファイルでどんどん書き足しています。行数こそかなりありますが、ところどころに日付や簡単な見出しを入れておけば検索機能を使わなくても探している記述はすぐ見つけることができます。そもそも時系列は人がもっとも得意とする記憶の構造化です。1件1ファイルの管理との使い分けが肝要かと思います。

今日は朝から夜まであちこち移動していくつかの用を済ませてきました。夜はオプションですが、レンタルショップに寄ってTOTOのベストアルバムをレンタルして来ました。すごくなつかしいけど録音が旧くていまひとつで残念。音の分離、定位、ダイナミクス、抜け切らない音質そのものと、“聴き替え”をしながら聴くことになります。四半世紀も前の録音だからこんなのかなと思いますが、先日亡くなったZARD坂井和泉のCDも同じような印象です。ZARDの曲はリミックスをしてほしいところですがこれは好みかも知れません。

Thursday, June 21, 2007

吉田秀和と加藤周一

今日の朝日新聞の朝刊に吉田秀和の「音楽展望」がありました。はて、こうした批評は夕刊の文化欄のテリトリーではなかったのかと思いますが、夕刊の購読数がかなり減って来ているようで朝日は朝刊に引越させたのかも知れません。今日の見出しは「理のある演奏 解釈尽くし奏法追求 新しく美しく蘇る曲」です。彼の音楽批評はいつもコンテンポラリー(同時代)というスタンス、最前線に身を曝す言葉が整然と並んでいて緊張感があります。今日も時事評から入っています。冒頭で加藤周一の名前を見つけて私は重い文章を一気に読み通しました。「例えば、加藤周一さんのコラム。彼はー特に近年は、世の流れに逆らっても、信じるところを主張する。彼は常に知の限りをつくして「理」を説く。」吉田秀和も加藤周一も著書は座右のものでした。加藤周一の『羊の歌』『続羊の歌』(岩波新書)は時が経つのを忘れて何度も読み返したものだ。このふたりがこうしてマスメディアに名前を連ねていること自体が心強い。

職場にWindows Vistaが入って少しずつ触っています。モニタは鏡面タイプで、デザインで頑張ったVistaはその魅力をアピールしています。直感的に安定感があるOSです。XPが安定感でかなりいいところまでできていたのでここしばらくは買い替え需要はないと思いますが、手持ちのXGシステムが動くなら1台はほしいところです。

Wednesday, June 20, 2007

俳句

今日の朝日新聞の朝刊に「千の風になって」の6段抜きの特集記事がありました。その中の宗教関係者と宗教学の大学教授のコメントにいささか違和感を覚えました。死生観は多様であり、その多様な死生観を受容する宗教であってほしいと思っています。

「黛まどかの俳句でエール」のメルマガを毎日読むようになって俳句が身近に感じられるようになってきています。俳句が「第二芸術」だと反発していた大学1年の頃、吉屋信子が「歌人に比べて俳人は破滅型の人生を歩む人が多いようだ」というようなことを本に書いていて、それも俳句を遠ざけていた理由のひとつでした。それから30年、発達障がいの子どもたちの認知の仕組みを理解しようとする勉強のプロセスで、俳句という自己表現の形とどこか共通するところがあるように思えてきました。俳句は文脈の断面を短い言葉で見せてくれます。言葉で見せる、この認知の構造は視覚的で、“Picture Thinking”だと思う。ネットで探した黛まどかの句集『夏の恋』(学研 1996)が今日届きました。ハッセルとRDPの組み合わせと思しき沢渡朔の写真も印象的で、奥書に「俳句写本」とあります。このような俳句の在り様もいい。だけど、私は俳句を作ろうとは思わない。ひたすら長い文章を書きたくなります。不思議なものだ。

こんな事を書きながら、今夜は尾崎豊を聴く。

Saturday, June 16, 2007

池袋の高速バスターミナルで

朝からアテンザの洗車をしました。今日は掃除機で車内の砂も取ってさっぱりしました。フロントバンパーはますますキズが増えて高速通勤140kmの勲章です。走行距離は金曜日に9万kmを超えましたが不具合は全くありません。よく走って頼もしい限りです。

アテンザの洗車をしていて、なぜか、昨年の夏、池袋の高速バスターミナルで出会った父子のことを思い出しました。夜11時に子どもの姿を見かけることがそもそも“ない”ことですが、5歳くらいのその男の子は発達につまずきがある子で、私は目が離せなくなりました。どうしてこんな時間に父と子がここにいるのだろう・・・歩道の路上ライブの前に座って、バックパックに手を入れてちぎったパンが歩道に落ちて、それを子どもに食べさせようとして・・・そんな光景が私の胸を締めつけました。どうしようもない現実なのだろうか・・・その父子に何もできない自分に無念さだけが残りました。“美しい国”には程遠い現実が多々ある。

NHK-BSは72時間ニューヨーク特集で、ロッド・スチュワートのライブもありました。今年、彼は62歳です。歌声も立ち居振る舞いも若い! 奏でる音楽はますます磨きがかかって素敵だ。こんなふうに歳をとりたいものだ。

Friday, June 15, 2007

150円のタオルセット

今週の木曜日〜金曜日は中学部の宿泊学習で三重県立鈴鹿青少年センターに行って来ました。よく考えるとそこは私が高校の頃利用した記憶があって、その頃壁に掛かっていた般若心経の織物が、だから30年間ずっとそこにあります。総合研修館とよばれる体育館のようなホールのピアノはその時の“つどい”で弾いたYAMAHAの初代CF(フルコンサート)です。弾いた、といってもバッキングです。なつかしい建物です。

今回の宿泊で持っていくのを忘れた石けんを現地で買いました。石けんだけでは売ってなくて、タオル、歯ブラシと歯磨き、そして石けんの「タオルセット」でした。この3点がジッパー付きの小さな白いビニールの袋に几帳面に入っていました。これで150円。タオルは薄め小さめでちょっと頼りないタオルです。でも、この150円の「タオルセット」の文脈を思うとただ事ならぬ波風が自分の中に立ちました。大量生産でそれなりの収益を上げているのかも知れませんが、そして、袋詰めは機械化されているのかも知れませんが、私は手作業でその作業をしている人たちの存在を想像してしまいます。1つ1円というような単価の仕事に携わる人たちのことです。時給に換算すると私の方がはるかに高いはずですが、でも、生活の糧という文脈では何ら変わりはありません。ワーキングプアとよばれる人たちを産み出す社会構造の“からくり”に気づかされます。

梅雨入り2日目にして早くも中休みで、この土日はアテンザの久しぶりの洗車とたまっている洗濯、そして、夏支度です。

Monday, June 11, 2007

今日からノーネクタイ

今日から半袖にノーネクタイで出勤しました。真冬でもTシャツ1枚で仕事をしていた私が6月までスーツを着ることになるなど想像もしませんでした。薄着だとボディラインが気になります。梅雨が明けたらロードレーサーで思う存分走りたい。

先週の木曜金曜と長野県千曲市に出張でした。長野県稲荷山養護学校は長野県産の唐松をふんだんに使った木造校舎で総工費は50億円とか。広い廊下と広い教室、充実した実習設備と、プランの確かさが随所に見られるものでした。2日にわたる研究協議はあっという間に終わってしまったように思いました。特別支援教育の進め方はそれぞれ県によってちがいはあるものの、特別支援教育に係る課題の本質は変わらないと思いました。外部依存型の組織は空洞化を生むという講師の言葉に頷いてしまいました。

長野は梅雨末期のような激しい雷雨もありましたが、山に続く丘陵地帯の緑がすごくきれいでした。思えばこの季節に信州に行ったことがありません。湿気が多い日で遠景は靄がかかったように見えて、写真に撮ってもいまひとつなのが残念でした。

今回携行したカメラはボディがEOS Kiss Digital Xを1台とレンズはTamuron XR DiⅡ 17-50mm F2.8の1本だけです。とにかく荷物を少なく軽くしたかったのでこの組み合わせでしたが必要十分でした。メディアは1GのCFカードが1枚で、M FineとL Fineを使い分けて100枚ほど撮りましたが、M Fineであと200枚近く記録が可能でした。バッテリーは残量表示がひとつも消えませんでした。キスデジはボディに手振れ補正機能がありませんが実用上の問題は私は感じません。むしろ、レンズやカメラの資質で云々したいと思っています。あと、サイズも大切なファクターで、今回の出張の立ち回りのスピードもカメラに助けられたこと多々ありです。

昨日の日曜日は松阪市サマースクールのボランティア養成講座第2回と日曜日のポコ・ア・ポコでした。ポコ・ア・ポコは子ども(8家族)よりも見学の方が多いという初めてのケースとなりました。見学といってもミュージック・ケアのプログラムに全員参加です。子どもたちがいつも通りのセッションを見せてくれて見学の方も満足度120%といったところでした。満足度といえば、午前中のボランティア養成講座は満足度200%でした。テーマは「自閉症の理解を深める」で、「広汎性発達障害は、発生機序も未だに解明されていませんが、人間存在の根源をなすものについての示唆を与えてくれる興味深い障害」(石川2000)という文脈に共振するものでした。

Monday, June 04, 2007

スローな時間

この冬のことだったか、文学や車、旅のことを書いている個人のサイト「蒼穹の回廊」をヒットしてブックマークに入れておきました。車は赤のアルファロメオで、昨日、そのページを久しぶりに見たらバックによく知っている建物が写っていて驚きました。私が卒業した高校の近くの美術館です。URLを確かめると私が育った地元のブロバイダーでした。コンテンツから思うところ、文学と語学に相当詳しい。誰…ということも気になりますが、これほどの物を書く人が同じ地方に住んでいることがなぜか心強く思われます。昨日は団地の一斉清掃が雨で始まりが遅くなったのでしばらくそのサイトの文章を丹念に読んでいました。いちばん驚くことは読書量です。それだけ本を読む時間があること自体がうらやましい。仕事かも知れませんが…。それにしても、本好き、車好き、バイク(自転車)乗り、ジャズ好き、猫を飼っていることまで同じなのでますます興味津々です。久しぶりにウィントン・マルサリスの「Black Cords」を聴くことにしました。

今日はこの土曜日の振替休日で、個人病院と総合病院に小一日いました。個人病院はまるでリゾートホテルのようなエントランスを入るとそこは杉材に囲まれた空間でした。木の香もいいけどやわらかな色彩に和みました。所々にふくろうの木の置物があってこれが可笑しい。ついつい目を円くしてふくろうたちの前に行ってしまいます。残念だけどそこの用はほどなく終わってとなりの市の総合病院に行きました。最新の検査機器が備えられた花崗岩の新館は、ここも病院ではなくホテルと見紛うほどのやわらかな色彩の空間でした。ここで4時間近く、本を読んだり、フランクリンコヴィーを開いては仕事の段取りをあれこれと思案したりしていました。“スロー”なひとときを堪能しました。

バイブルサイズはプランを練るにはやはり狭いなと思いながらも当面の段取りを整理することができました。40mmのリングは4月〜8月の5か月分のデイリーと1cmほどのリフィルを挟んでほどよくいっぱいです。40mmのクラシックサイズがあればいいのにと思う。それにしても“M.モゥブレィ デリケート クリーム”のなんと香しいことか! これはイタリア生まれとか。私のバインダーもたしかイタリアの革です。イタリアの歴史の深さを思います。これも“スロー”な時間の賜物だと思います。

朝、アテンザのトノカバーを引いたら戻らなくなってしまって固定できなくなりました。仕方なくカバーを荷室に垂れたまま出かけることにしました。月曜日はディーラーは休みの日だし直すのも安くはないだろうなと思いつつ走ってルームミラーを覗くとリアウインドウにポコ・ア・ポコで使うグッズの袋が映って目障りだ。ところが、トノカバーがギシギシと軋んでいた音が全然しなくなったのですごく快適なのです。要は荷物がウインドウに映らなければいいのだと気がついて、帰りに黒の布を2m買ってきました。トノカバーの軋み音がしなくなったアテンザで聴いたのはマルタの「サマーベスト」で、からりと晴れた青空の下、麦秋と青田のコントラストが際立って鮮やかに見えました。梅雨入り前の光はこんなにも透明だったのかと初めて知ったかのようです。

iTunesを7.2にアップグレードしたらデザインがまたソリッドになってしまって慌ててAqua4Tunesも最新バージョンの3.2をダウンロード、やっといつもの“顔”に戻りました。

Sunday, May 27, 2007

前任校の運動会で

5月の日曜日のポコ・ア・ポコは13家族のみなさんに来ていただきました。会場はほぼいっぱいで拍手の音が大きい! 大勢でしたが“静”の時間を見事につくることができてすごい!と感動しました。お越しいただく子どもたち、みなさんに感謝しています。

午前中は松阪市サマースクールのボランティア養成講座で「ともに生きるということ」をテーマに話をさせていただきました。豊かな地域づくりにおける個人の“力”の大きさと活かし方について現在の私の考えを述べ、また、担任の頃のコミュニケーションに係わる実践例を紹介して発達障がいの子どもの支援につながるテクニカルなヒントの提供という内容です。担任の頃の授業のビデオは4年も前のものでしたが、なつかしいというだけでなく、教室で子どもたちといっしょに過ごす毎日の意味や価値の大きさをあらためて思いました。午後のポコ・ア・ポコも含めて、これからの自分のキャリアに思いを巡らす一日でした。

今日は今の自分のどこにこんなエネルギーがあったのかと思うような一日でした。家に帰っては夕食を作りながらのキッチンドリンカーでほっと一息です。

昨日は前任校の特別支援学校(養護学校)の運動会に行きました。準備体操はかつて私がシンセサイザーで打ち込んだ音楽を使っていました。私がいなくなってもそうして“作品”が残っていること、そのこと自体に私は動揺のようなものを感じてしまいました。子どもたちの笑顔がせめてもの救いでした。自分が作った音楽が自分の手から離れて知らないところで奏されることの文脈を初めて知りました。

先週、殉職したSATの隊員の告別式を報じるテレビからX-JAPANが聞こえてきたことを思い出して、X-JAPANを聴きながら帰ってきたことがありました。ニュースによると告別式で好きだった音楽を流したとか。X-JAPANは私も好きでベストアルバムはいつもアテンザに積んでいます。X-JAPANは自分を追いつめる息苦しさを感じます。SPEEDもそうです。私がアイデンティティを感じるのはそこだと思う。クラシック音楽も緊張感が高いほど好きでアルゲリッチのピアノがたまらない。オートバイも自転車も乗るならロードレーサーしか考えられない。あのSATの隊員もそうかも知れないと思う。

Sunday, May 20, 2007

PAの音に酔う

今日出席した知人の結婚披露宴はAV面の演出に興味津々でした。ホールにセットされたPAのスピーカは4台でサイズは25cm程度でしたが効果は抜群で音・音楽の力を思い知らされました。PAシステムのあの音に酔うような感覚がありました。選曲はセンスが問われるところですが、これは定石と思いながらも次の曲が楽しみでした。手を伸ばせば触れることができるようなPAシステムの音は魅力的です。先日買った『サウンド&レコーでディング・マガジン』(リットーミュージック)5月号は音作りの世界に私を誘います。付録のCDに収録の清水靖晃のアルトサックスも音そのものに惹き込まれそうなパワーに圧倒されます。アコースティックの須川展也と対極にあるかも知れませんが私にとってはどちらも魅力的です。

フランスの新しい大統領が決まって式典などをニュースで見ました。まるでファッションショーのようなシーンもあって見入ってしまいました。政治的スタンスはともかくヨーローッパの政治家は魅力的です。私にはミッテランやコールはその典型ですがふたりとも過去の人です。演説するミッテラン大統領を後ろから撮った映像は彼が長い脚を逆V字形に大きく開いていて意志の固さを表しているように思いました。コール首相はベルリンの壁の崩壊前に東ドイツ国民を西側に見返りなしに通過させると伝えたハンガリー外相の前で涙したというエピソードが脳裏に焼き付いています。

Amazonのマーケットプレイスで注文していた村松英子の本が1冊届きました。『こころの花』(講談社 2003)で、届いてみればサイン入り初版本でした。詩集『一角獣』(サンリオ 1973)は1977年、大学1年のとき買ったように覚えています。この中の「欲しい」(1971)に惹かれてもう30年になります。このところ昔のものを持ち出していますが『一角獣』はいつも新鮮で懐古的な心境にはなり得ません。むしろ血を沸き立たせます。音楽もいいけど文学もいいとしみじみ思う。

このところ身近な人が癌と診断されることが続いて日本人の死因の第1位が癌とのメディアの報道にただごとでない状況を肌で感じています。これから自分は何をするべきなのだろうと様々な視座から考えてしまいます。命あるうちにしたいことはしておこうと、これは前々からのことです。

PowerBookのACアダプタのコンセントを欠かしてしまって太いコードを接続することになってしまいました。何かと評判がいまひとつのACアダプタなので、この際とサードパーティーの代替品を調達することにしました。純正の半額ですが評価はいい。こういうときネットは便利だとつくづく思います。だからというわけではありませんが.macのトライアルを始めました。そもそも.macの全体像というかそのアーキテクチャが理解できないと使えない印象です。

Sunday, May 13, 2007

卒業アルバム

今日で団地の仕事の役目を交代しました。この2年間、とりわけこの1年は恊働のダイナミクスと決断の重責の連続で貴重な勉強の機会でした。でも、肩の荷が下りた実感はしばらく後に訪れることでしょう。

高校の卒業写真を実家から持って来ました。卒業したのは昭和51年、1976年のことでした。もう30年も前のことです。卒業アルバムを見ると思い出が次々とよみがえります。その高校は「勉強さえしていればいい」と言わんばかりの校風で、卒業アルバムの個人写真もちょっと不思議です。男子は詰襟の学生服をきちんと着ているものの、腰まで届くような長髪やサングラスの者もいます。女子に至っては“標準服”の他に黒や紺のブレザーやオーダーメイドのセーラー服、なんだかよくわからない上着と、何でもありです。私はその高校に行って人間はなんとおもしろいのだろうとしみじみ思いました。卒業生の消息も然りです。いちばんの有名人物といえば、ポケモンの映画の最後に「スーパーバイザー」として名前がスクリーンに出る彼でしょうか。重度心身障害の子どもの専門医として仕事で時折顔を合わせる彼も同窓生です。みんなみんな、どこで何をしているのだろうと思いますが、自由な校風が生徒ひとりひとりの自己形成にどれだけ寄与したことかと、当時の先生方に敬服するところです。そうそう、毎週5キロのマラソンの授業もその高校の売り物でした。そもそもの発想は「勉強も最後は体力」とのことだったようですが、私はこの授業でマラソン・ハイを知ってトライアスロンへの道を歩むことになりました。文学にどっぷりとつかっていたその頃の私は旧制高校のリベラルな校風に憧れていたこともあって、その高校の自由な校風がたまらなく気に入っていました。私は今もその香りを求めています。

Saturday, May 12, 2007

ソフィー・ミルマン

昨日、探していた本を入手することができました。田中道治・都筑学・別府哲・小島道生編『発達障害のある子どもの自己を育てる〜内面世界の成長を支える教育・支援』(ナカニシヤ出版 2007)で、執筆の赤木和重さんのサイン本です。私が一昨年まとめた高校の特別支援教育についてのレポートでも生徒自身の自己理解の大切さに触れました。発達障害のあるなしにかかわらず、自己理解の在り様はセルフエスティームを大きく左右する重要なファクターです。今、この本を読む時間はありませんが、どのページを開いても私の目は釘付けです。

今日はアテンザでソフィー・ミルマンのアルバム「sohpie milman」を聴きました。ジャズ・ヴォーカルの定番からシャンソン、ロシア民謡まで、ソフィー・ミルマンは太い声でたっぷりと聴かせてくれます。ロシア語の「黒い瞳」も、編曲も演奏も歌も聴き応え十分です。歌詞は黒い瞳の女性に心を奪われた男の語りなのですが、歌詞がわからなくても胸が締めつけられるような曲です。ロシアの厳しい気候や帝政ロシアから社会主義体制に続く抑圧された暗い社会を連想するのは私の思い込みなのだろうか。昨年、イリーナ・スルツカヤがジプシーの曲で演技したときも似た感覚がありました。彼女の容姿と相まってロシアのことが頭を過った次第です。先日はソ連時代の社会主義体制に抵抗したチェリスト、ロストロポーヴィチが亡くなり、ロシアの大地に刻まれた負の遺産に思いを巡らしてしまいました。話はソフィー・ミルマンに戻って、このアルバム「sophie milman」は夜の街のクルージングに最高です。

このGWに実家の畑の草刈りをして携帯で写真を撮ってきました。草刈機で刈って刈った草を一所に集めただけです。携帯のレンズは広角寄りの画角なので広々と見えます。その写真を見ているとなぜか気持ちよくて、畑全体の雑草を刈って丘のようにしてみたいと思いました。ただの雑草野原なのに不思議に気持ちが落ち着きます。

GWにはまた、レンタルショップで「コンコルド」のDVDを見つけました。コンコルドは60年代に開発された古参で四半世紀にわたって音速の2倍で飛び続けた旅客機です。機体はとにかく美しいの一言に尽きますが、コクピットの計器はアナログ然としていて、これでマッハ2で飛ぶのかと唖然としてしまいます。でも、基本設計が優れていたのでしょう。DVDに登場するパイロットや航空関係者の言葉が素敵です。論理的構造が刺激される飛行機云々という表現はとりわけ興味深い。もう一度レンタルしてテロップをメモしておきたい。PowerBookのデスクトップもコンコルドにしてしまいました。

フランクリン・コヴィーで買ったモゥブレイのデリケートクリームを手持ちの革のバインダーに塗ってそのしっとりとした手触りと優しい光沢、そして、なんともいえない香しさにうっとりです。数年前に初めて買ったフランクリン・コヴィーのバインダーも復活、クラシックサイズのイタリアン・カーフもますます愛おしい。仕事で使っているコンパクトサイズの40mmはオフタイムにはやはり重過ぎです。オフタイムのメモには25mmまでのバインダーに無地のリフィルが最適です。まさかのバインダーの使い分けです。

Friday, May 04, 2007

CBR600RR

以前から気になっていたバイクの名前がわかりました。歩道に止めてある車体のプリントからネットで調べるとHONDA CBR600RRでした。特徴はエキゾーストパイプがリアタイヤの真上にあることと、全身が運動神経の塊とアピールする引き締まった小柄なボディと抜群の回旋性能を証明するかのような高い位置のステップです。ライディングスタイルはレースと見紛う前傾です。乾燥重量は166kgですから250cc並み。これでよく走らないわけがない。また乗りたいと思わせるバイクです。その前に大型の免許を取らないと乗れませんが…

中型の免許の試験のとき私が選んだバイクはHONDA CB系直四とVFR400Fの中から後者でした。CB系直四は安定志向で重量感があってエンジンもマイルドということもあり試験で人気がありましたがバイクとしての面白味みがいまひとつでした。一方のVFR400Fはアクセルに敏感に反応するエンジンと軽量なボディでバランスが取りにくいものでした。教習でも後半で使いました。でも、慣れると一体感があって意のままに乗れそうに思いました。その一体感は自転車のキャノンデールのロードレーサー、Saecoレプリカのそれとよく似ています。CBR600RRはさらに一体感があるように思います。血が騒ぎます。

今日は気がつくと本田美奈子の「ニュー・シネマ・パラダイス」が頭の中で鳴っていました。病院の壁の骨髄移植のポスターに彼女の写真が使われていたからでしょうか。私はこの映画を観たことがありませんがモリコーネの音楽は耳について離れなくて、日本語で歌う本田美奈子の歌詞で“事の次第”がそれとなくわかってますます気になる1曲となりました。などといいながら、夜、iTunes Storeでcobaのアルバムを購入しました。音楽遍歴はますます混迷を深めていきます。

Thursday, May 03, 2007

「あぐり」

「あぐり」
朝から所用の合間に古書店に寄って見つけたのがNHK連続テレビ小説「あぐり」のオリジナル・サウンドトラック・アルバムです。1997年放送なのでちょうど10年前の作品です。音楽が素敵でした。このアルバムは組曲版が収録されていて、バイオリンコンチェルト風でとてもおしゃれです。NHKの劇伴でなかったら様々なシーンで使われているにちがいない音楽です。演奏も録音も心が温まる逸品です。その音を聴いていて思い出すシーンがあります。2005年2月に京都市立総合養護学校の文部科学省教育研究開発学校指定研究中間報告会に出席したとき、1日目の会場“みやこめっせ”では開会前にオーケストラ演奏のビートルズが流れていました。現代建築の“みやこめっせ”とオーケストラ演奏のビートルズとの組み合わせは、歴史の街、京都で総合制・地域制の養護学校を再編した革新の取り組みの提案を予感させるフェアな清々しさを伝えていました。そのときの演奏はレーモンドルフェーブルだったかも知れません。「あぐり」のアルバムもそうしたシーンと共通する文脈を感じさせる音楽、演奏、録音です。

Wednesday, May 02, 2007

『うちの食卓』

タエコ・フォルトゥナーティの『うちの食卓 北イタリアの食卓』(白夜書房 2007)が届きました。ブログ「うちの食卓」はどうやって知ったのか覚えていませんが、なぜか縦長ばかりのイタリアの家庭料理の写真に魅了されてしまいました。縦長の写真はまさに「切り取る」センスが光ります。本の縦横比もちょっと細長くてめずらしいサイズです。コメントもウィットが効いていて楽しい。主役の料理はとてもおしゃれだけど気取ってなくて、毎日の食卓を楽しいものにしてくれる身近さを感じさせます。この料理の作り手にしてこの写真を撮るセンスです。この言い回しに妙に納得してしまいます。それにしてもこんな料理が並ぶ食卓は楽しい。素敵だ。そう思うのも、ここのところコンビニの弁当に頼ることが多いからかも知れません。

去年の夏に買った松阪木綿のペットボトルカバーを探していてCRCを見つけて、動きが硬かったラジペンチに差して、留め金が曲がってうまくロックできなくてしばらくはずしていたネックチェーンを直しました。ふだん身につけているものがなくなるともの足りなくなります。でも、ふだん身につけていたくなるものを想うことがあります。ネックチェーンに着けたいもの、それは、ジャンボジェットのタービンブレードを加工したペンダントトップです。十数年前に全日空が作っていたもので機会ある度に探していますが入手できないでいます。この夏は空港のショップ巡りをしようかと思っています。

久石譲の『感動をつくれますか?』(角川Oneテーマ21 2006)を書店の平積みで見つけました。「モノづくりは感性に頼らない!」という帯のキャッチコピーに意を得たりです。技術や技法はどれだけあっても邪魔にならない。むしろ、そうした技術的なノウハウは新しいものを作り出すための肥えた土壌になる。地図は何枚もいるものなのだ。『ハウルの動く城』でテーマの3拍子を聴いたとき、私は「やられた」と思いました。映画を観ていてこんなにも次の音楽が待ち遠しい映画はちょっとありません。

この本で芸術における時間軸の役割についてこんな記述があって興味深い。「本当のところはよくわからない」としながらも「…音楽も文学も映画なども、時間の経過のうえで成り立っているものは、論理的構造を持っているということだ。それに比べて、絵は作品が表現するものが見た瞬間にわかる。瞬時に世界を表現できる力がある。時間の経過を伴わない分、論理的なものより感覚に直に訴える。だから、絵の人は考え方や行動においても、感覚的なものが突出する面が強いらしいのだ。」とあります。瞬時の視覚情報と時間軸上の論理的構造は脳によって使い分けされていて、このコンビネーションがその人らしさを作っている要素のひとつと考えられます。視覚情報が記憶となり、記憶の選択と組み合わせ、つまり、その人なりの論理的構造が生まれる。そこに聴覚情報や生理的な要素、心理的な要素が加わる。音楽はそれら様々な要素に論理的構造を与える。ただ、私はこのところ音楽の時間的要素であるリズムやテンポ、間(ゼネラル・ポーズ)の機能にとくに関心があります。全体の時間もそうです。では、絵を見続ける時間、制作にかける時間そのもの、絵が含む時間軸のような要素は論理的構造とはならないのだろうか。

この連休は晴耕雨読になりそうです。

Sunday, April 29, 2007

「見上げてごらん夜の星を」

1週間前のこと、4月の日曜日のポコ・ア・ポコは8家族のみなさんに来ていただきました。春に新しい出会いを迎えたみなさんとのポコ・ア・ポコです。これから始まるわくわくが待ち遠しい空間は新学期ならではでしょう。来月も楽しみです。

ゴールデンウィーク前日の朝は東名阪で鹿が轢かれて渋滞の中を出勤しました。仕事は分刻みであっという間に一日が過ぎ、その夜は病院に泊まりました。高度に構造化された医療のパラダイムに学ぶことが多々ありました。しかし、そこでもインターフェイスは人です。人、人、人です。今日、家に戻るとき、前を走る車のスペアタイヤのケースにブラックジャックがプリントされていました。彼も外科、切って治すが手塚治虫が描こうとした世界はヒューマニズムに溢れています。

少しずつ読んでいる本が東野真著『緒方貞子 難民支援の現場から』(集英社新書 2003)です。圧巻は巻末の講演「日本、アメリカと私ー世界の課題と責任」(1999.3.10 ワシントン マンスフィールド太平洋問題研究所主催)です。比喩ですが、緒方貞子は常に北極星を見ているということを強く感じます。その北極星は人道主義、ヒューマニズムです。

iTunes Storeのサーチでレーナ・マリアの「見上げてごらん夜の星を」をヒットしました。日本語がとても自然に聴こえて驚きましたが、それだけでなくこの歌はただごとではないと彼女のプロフィールをネットでサーチして腑に落ちるものがありました。彼女の歌もヒューマニズムの文脈に添う力を秘めています。「見上げてごらん夜の星を」は国立特殊教育総合研究所(現独立行政法人国立特別支援教育総合研究所)の研修員だったとき、講義の中でこみ上げる涙が止められず手話で歌った歌です。レーナ・マリアの歌は、でも、どこまでも前向きで、北極星を見つめている歌です。

「見上げてごらん夜の星を」は音楽的に理にかなった構造です。Fから始まるクリシェの和声進行とAmへのジャンプという定石でありながらこのオリジナリティはただものではありません。音楽の美学そのものでしょう。サックスでオブリガートを奏でたい曲です。

今日はおだやかな初夏を思わせる一日でした。そよ風にゆれるピンクのカーテンと水面のように日差しに光る網戸、遠くに臨む朝熊山と伊勢の街、わずか6階なのにこの眺望がもたらす静けさも非日常のひとときでした。

Monday, April 16, 2007

病院の一日

日曜日は大きめの地震があって勤務先に駆けつけました。駆けつけたといっても高速道路も近鉄電車も止まっていて、一般道を走って1時間45分かかりました。幸い、地震で作動するシステム以外の異常はありませんでした。この地震のとき、ちょうど私は車をドアを開けてシートに腰を下ろしたところでした。車全体が波打つように揺れて、これはドンを腰を下ろしたためかと、車外に出て意識的にドンとシートに腰を落としました。だけど揺れない。これは地震だと思いました。車のテレビをつけると地震とのテロップが出ていました。県庁の“防災みえ”からは携帯にメールが次々と届きました。一体何が起こったのだろう。勤務先に向うとき、私の携帯は途切れがちでした。災害は起こらないとわからない。そう実感した次第です。

今日は総合病院に7時間余もいました。病院の一日を見ることになりました。今日話をしたのは外科のドクターで、ある意味でEBMのひとつの極みにおいて構造化された文脈に触れたように思いました。診察時間が終わりに近づくと病院の廊下にはブラックスーツの男たちが人待ち顔で集まります。プロパーなど営業マンです。私もブラックスーツにいつものビジネスバッグという出で立ちで、私が廊下を行き来すると新顔とばかり私をチェックする視線を感じました。自分が置かれた状況によって人の見方がちがってくるものです。仕事は厳しい。

日曜日のポコ・ア・ポコのご案内を発送しました。明日火曜日には届くと思います。作り始めたら早いのですがここのところ慌ただしくて取り付く間もなかなかありませんでした。“間”がないというのは由々しきことです。

Saturday, April 14, 2007

ドミナントのシャープ

先週は日付が変わってから帰宅という日もあって頭の芯の感覚がなくなっているようです。昨日金曜日は所用で午後から休暇を取りました。異なる職種の人と詰めた話をするのは難しくもあり新鮮でもあります。紺のスーツに大きく膨らんだ黒の化繊のビジネスバッグの私は金融機関の営業マンに見えたことでしょう。その勢いで夜は映画のレイトショーに行きました。道路はなぜか車が多くて時間に間に合うかとどうかとやきもきしながらアテンザのシフトチェンジを繰り返しました。

観たのは「ブラッド・ダイヤモンド」です。相当な部分がノンフィクションだと思います。どのシーンも密度が濃くて見入ってしまいました。音楽は弦が基調のように流れていて、これはある時期のネイチャーブームの頃の音と音楽に印象が似ていました。女性ジャーナリストのバッグがドンケだったり、常用のカメラが黒塗りのM型ライカだったり、AF一眼がニコンだったりと、カメラ好きの私はそちらのチェックもしっかりしました。閉店間際の映画館のコーヒーはすごく濃くて苦くて、疲れてレイトショーを観るにはぴったりです。

今日は朝から地元の療育サークルのムーブメントでピアノを弾きました。合間に楽譜集の他の曲のページを見るとぞくぞくするような和音があって眠気も飛んでしまいました。「おおきなくりのきのしたで」のラスト2小節、コードネームにするとC→Dm7+5→Cという進行で、弾くとただならぬ空間が生まれます。前奏から歌の部分は基本の和音の展開に留めておいて最後にこの響きがくると余韻とともに達成感が生まれます。ドミナントのシャープはハーフサイズの深呼吸です。

Amazonに注文していた本がやっと届きました。金子郁容『ボランティア もうひとつの情報社会』(岩波新書 1992)、同『学校評価 情報共有のデザインとツール』(ちくま新書 2005)、東野真『緒方貞子 難民支援の現場から』(集英社新書 2003)の3冊です。この3冊に共通するファクターは何か!? 飛躍の感もありますがヒューマニズムかも知れません。緒方貞子の難民支援の文脈は文字通りヒューマニズムです。金子郁容の本は彼自身への言い聞かせと思わせる切羽詰まった言葉が並んでいて緊張感があります。私はそこに共感しているのだと思います。自分への説明のために文を書いているように思うことが少なくありません。

ドリカムの「LOVE LOVE LOVE」英語バージョンがiTunes Storeに加わりました。山下達郎の「クリスマスイブ」もそうですが、オリジナルの日本語よりもいい!?

Sunday, April 08, 2007

ポリーニのショパン

学校は新学期を迎えています。私も高校の入学式に出席する機会がありました。1000人を超える新入生と保護者、学校関係者が水を打ったようにひとつのことに集中する空間は圧巻でした。生徒が教室に移動したあとの保護者向けの説明は進路に的を絞ったもので、進路の実績がものをいう高校の厳しさを反映していました。高校は生徒が集まらなければ学校そのものがなくなります。少子化が加速化する今、高校はピンチといえますが、ピンチこそチャンスと果敢に挑む高校は活気にあふれています。京都大学桂キャンパスと見紛う新校舎に見とれてしまいました。

今日は新学期の準備で朝から休日出勤でした。鈴鹿スカイラインに続く道はバイクが連なっていました。こんな暖かい春の日、いいなぁ…と横目ならぬ真正面からまじまじと見つめながら勤務先に向かいました。ライダーたちはみな私よりも年上と見ました。自転車のロードレーサーで走っている人もおじさんばかりでした。私も元気をもらいました。

帰りに寄るクリーニング店の仕上がりまで少し時間があったのでパソコンの専門店で小一時間つぶしました。今更のWindowsと思いながらも自作パーツを見ると血が騒ぎます。コンピュータは不思議な存在です。

金曜日の夜、ショパンのピアノが聴きたくなりました。ポリーニが弾くエチュードを探したけどなくて、iTunes Storeで探して購入しました。すごくなつかしい演奏です。高度成長期、バブルの前、あの頃のひたむきさが伝わってきます。その後は、情熱的とされながらも理性的と思える演奏になってきたように思います。エチュードといえば原口統三の『二十歳のエチュード』、二十歳といえば高野悦子の『二十歳の原点』であり、その頃といえば樺美智子であり、彼女の遺稿『人知れず微笑まん』を読んだ頃の自分を思い出します。でも、その頃、彼らはすでに同時代ではありませんでした。ビートルズにも学生運動にも乗り遅れ、且つ、新人類にもなれないのが私の世代です。ポリーニのショパンはそんな私がアイデンティティーを投影してしまいます。

Sunday, April 01, 2007

音楽がつなぐ縁

地元の療育サークルの依頼でミュージック・ケアのセッションをしました。7家族10人のお子さんで、ポコ・ア・ポコのメンバーもたくさん来てくれていました。体育館の広さを使って「元気に元気にゆっくりゆっくり」で、歩く・跳ぶ・走るから始めました。1時間20分くらい、いつもより活発で長いセッションでしたが、終わりは落ち着いてにこやかに終わることができました。

会場は私が18年前まで勤務していた小学校の体育館で、その体育館が完成して間もなく異動となりました。体育館のピアノとも18年ぶりの再会です。体育館に置かれているピアノですが、思いの外傷みも少なくて、小さいながらもよく鳴りました。体育館の前は講堂でした。講堂のグランドピアノは文字通りぼろぼろでした。弾いて弾いて、なんとか表現に幅が出るようになりました。ある年の入学式で、起立・礼・着席のC・G・Cの和音を意図的に弾きました。しばらくして、ある先生からそのときの私のピアノが素敵だったと言ってもらいました。今朝の新聞でその先生が退職されることを知りました。そんな今日、その学校でのセッションの依頼があるとは不思議です。松阪市の学校に勤務したのはわずか4年だけでしたが、そのときの出会いは今も広がりがあります。ポコ・ア・ポコにもなつかしいみなさんが来てくれます。音楽がとりもつ縁だと思います。

金子郁容のことをネットで調べていて松岡正剛の「千夜千冊」のサイトをヒットしました。『千夜千冊』(求龍堂)は10万円近くする本の本の全集で、書店で見たときはその値段に驚いて手にすることもなく、だから内容も知らずにいました。でも、金子郁容の『ボランティア』(岩波新書 1992)について書かれたサイトを読んで私の好奇心が煽られてしまいました。すごい言葉だと思います。ボランティア養成講座に向けて学ぶべきことは山のようにあることを予感して戦慄すら覚えます。この出会いもまた不思議です。

先週のNHKの「プロフェッショナル」は宮崎駿の特集でした。あの空間はあこがれです。彼もわき上がるものを止められない。明日は新年後の仕事始めです。何事も真正面から、そして、フランクにいこうとあらためて思う。

Saturday, March 31, 2007

明日から特別支援学校

明日から新年度です。勤務先の養護学校が特別支援学校と名称が変わります。今日、出勤したら校門前の案内標識の校名を高所作業車で直しているところでした。三重県立特別支援学校北勢きらら学園となります。大きな節目ですが、これまで築き上げて来た教育実践のよさは確実に継承していきたいと、曇り空をバックに新しい校名表示を見つめてしまいました。

今日、やっと机の周りを片づけました。開校当時の書類もあってかなりのものを整理することになりました。なんとか新年度をすっきりした中で迎えることができそうです。

地元で行うボランティア養成講座の企画書を作っています。全国特殊学校長会が「ボランティアの手引き(初級編)」のリーフレットを作成したばかりで、これも活用したいと考えています。援助や支援は決して一方的なものではありません。ともに何かをなすことの喜びとその豊かな関係性の価値を伝えることができたらと、難しいことですが、先達の言葉を借りながら価値ある講座にしていきたいのです。

Monday, March 26, 2007

金子郁容のメッセージ

夜、ふと気になってネットで検索したことがありました。キーワードは金子郁容で、京都市立西総合養護学校のコミュニティ・スクール・フォーラム2006で聴いた彼の講演がとても重要なメッセージを伝えているように思ったからです。彼の本を2冊、ネットで注文しました。「弱さが力になる」とはどういうことなのか、「ボランティア」とはどういうことなのか、「コミュニティ・スクール」とは何なのか、彼の思索の中に社会の未来が見えるように思えます。志は大きくもちたいものです。

アテンザのタイヤの空気圧を規定の2.2に近づけて2.3kg/cmにしました。シャーシーとタイヤと人と、この三者がなじまないと車はスムーズに走りません。私は今のタイヤになじめそうにありませんが、シャーシーとタイヤはほどよくなじんで勝手に走っている感じです。とにかくスムーズに走ります。燃料計と距離計を見ているとこれまでにない高燃費となりそうで複雑!

Saturday, March 24, 2007

「愛の語らい」

朝から身体に力が入らず休養日としました。昼過ぎに届いたステファノ・ボラーニ・トリオの「愛の語らい」は郵便受けからアテンザに直行となりました。「愛の語らい」のピアノがBOSEから流れるのを待って車を出しました。「愛の語らい」は東名阪を走っていてFMで聴いてその甘いピアノの音が印象に残りました。タイヤのノイズがほとんどなくなったアテンザで聴くジャズはまた格別で何が幸いするやら…というところです。

市内の古書店で辻邦生の『辻邦生全集全六巻2 夏の砦』(河出書房新社 1972)を見つけて購入しました。この本は半年くらい前にその古書店で見つけて2〜3日して買いに行ったらもうなかったという1冊です。売り場のリニューアルでしばらく見つけられなかったのかも知れませんが、“あいつ”にやられたと思った1冊でした。“あいつ”とは、市内に住むクラシック・ファンの同級生で、辻邦生が好きなところも私と同じ、古書店巡りも隙のないこまめさです。今日買ったこの本はそのときの本とはちがうかも知れませんが、手に入れることができてほっとしています。この本は「創作ノート」を収録しているのでプレミアムものです。35年前の1200円が1500円でした。何!35年前! ぼろぼろの硫酸紙も大切にします。

ブログ「うちの食卓 Non solo italiano」が本になるとのことです。本になってもいいなと思っていたサイト(ブログ)です。とにかく写真が素敵です。なぜか縦型の写真ばかりですが、それが意図されたもの?だったら脱帽です。

Friday, March 23, 2007

わがままな脳

ここ何日か出勤すると息をつく間もないくらいで体重も下降の一途ですが、やっとそれなりに片付いて一息です。時間ができたら好きな音楽を聴きながらどこまでもドライブしたいと思うところですが、どっこい、タイヤ選びでつまずきました。

事はアテンザの夏タイヤ調達です。大きなブロックパターンのお手頃の横に少しばかり値段の高いタイヤがあって、これは複雑なパターンでした。聞くと、大きなパターンは騒々しいが複雑なパターンは静かで乗り心地もいいとか。それではと後者にしました。ところがこれがおもしろくない。アテンザが普通の車になってしまったみたいです。そういえばアテンザの標準タイヤは大きなブロックパターンで騒々しい! 轍を低速で乗り越えようとするとショルダーがくだける。アクセルに車の挙動が敏感に反応する。凸凹で飛び跳ねる。そんな癖があるからねじ伏せてのドライブです。新しいタイヤはそんなことがなくて素直。基本性能がいいということでしょう。爽快といえば爽快です。でも、おもしろくない。人ってわがままなものだ。そのわがままは脳のわがままなんですけどね…

Wednesday, March 21, 2007

ペーター・シュライヤー指揮のモーツァルト

右手の親指の関節が字を書くときキリリと痛んでこれが気になっています。原因はと考えていて、教員免許状申請用紙をボールペンでしっかり書き過ぎたことことに思い当たりました。キーボードばかり使っていて、ペンでしっかり字を書くことが負担だったようです。けっこうな痛みです。いちばんキリリと来るのは手帳にスケジュールとタスクを小さな字で書くときです。万年筆を使うべきか… 左手の手首は演劇用のドアを作ったときから痛い。リハビリにと2kgのダンベルでゆっくり身体を動かす。たかが2kg、されど2kg、身体の筋肉のひとつひとつが目覚めるようです。

ペーター・シュラーヤー指揮オーケストラ・アンサンブル金沢の演奏会に行って来ました。ペーター・シュライヤーはほんとになつかしい。シューベルトの「美しき水車屋の娘」をギター伴奏で歌う彼の歌を大阪厚生年金会館で聴いたのは25年前のことです。「美しき水車屋の娘」はギター伴奏がオリジナルではないのかと思わせるくらいの完成度で、私はますます彼の歌うドイツ歌曲に惹かれるようになりました。その頃のペーター・シュライヤーはバッハの宗教曲のレシタティーボの録音も数多くこなして輝いていました。そのペーター・シュライヤーは、今、ステージの指揮台の行き帰りも歩きにくそうで、指揮台から降りるときはバーに手を添えても不安そうでした。でも、彼が指揮する音楽はまさしく現代、今、この時、コンテンポラリーの音楽でした。全体的にアップテンポで強弱の幅も大きく、適度な緊張感をキープしながらもドライな印象です。でも、モーツァルトの「レクイエム」でははっとするくらいの“神々しさ”を感じるときがありました。モーツァルトの「レクイエム」を初めて聴いたとき感じた戦慄をしばしば思い出していました。オーケストラ・アンサンブル金沢はそれこそ珠玉の小編成オーケストラでした。シューベルトの「未完成」のテーマを奏でるクラリネットは初めて聴く音でした。クラリネットの音という印象ではなく、リードそのものの振動が手を伸ばせば触れることができるような音でした。琴との共演は、指揮が見えない位置なのにどうしてそんなにも合うのかと不思議でした。愛知県芸術劇場は勤務先から1時間余で行くことができました。コンサートホールはまさに異次元の空間でした。非日常の空間をもっともちたいと思いました。不思議なことに日常が構造化されます。

構造化といえば自閉症の支援です。今日は市内で開催された自閉症の支援の講演会に行きました。自閉症の診断は「散文的」(石川 2000)ですが、脳科学のパラダイムで納得してしまう部分があるのは相当な核心があるからだと思います。講師の知見に脱帽です。レファレンス化された「タグ」同士を結ぶもの、そのひとつが音楽であるというのが私の持論ですが、音楽療法のシーンを凡化することも実際は難しい。でも、その難しさを克服するパラダイムが教育、教育プログラムであることを私は確信しています。教育が教育の言葉で自らの価値を語ること、教育費が一般財源化される状況の中でその意義は何ものにも代え難く、喩えようもなく大きい。

Sunday, March 18, 2007

ドナルド・マクドナルド・ハウス

昨日今日といくつか書き物をして終わりました。三重ミュージック・ケア研究会が日本ミュージック・ケア研究会の登録団体として認定されたこともあって、音楽療法関係の書き物は力が入ります。責任の重さを実感します。

琴の演奏会に行きました。「おもしろ箏(そう)な会」と題する演奏会で「発表&邦楽器と洋楽器によるコラボレーション」とのサブタイトルがあります。伝統音楽のよさもわかるつもりですが、私にとってはやはり現代曲が楽しめました。洋楽器、ピアノとフルート、ヴァイオリン、ドラムスとの共演では、ダイナミクスの幅や音色の多彩さなどの表現力で洋楽器のアドバンテージを感じました。でも、琴に潜在する表現力はもっとあるはずで、ここは作曲家に期待するところでしょうか。地方都市でこのような意欲的な演奏会がもたれることの主催サイドの志の高さに敬服です。

昼、マクドナルドに行って「財団法人ドナルド・マクドナルド・ハウス」の募金箱に目が留まりました。三重県の子どもたちもたくさん県外の病院で入院をしています。養護学校に勤務していると県外の病院で知り合った三重県つながりのエピソードを聞くことがあります。三重県にも産科からの小児専門病院ができることを切望し、私も何かしらの力になりたいと思うのです。

来年度の手帳はフランクリン・コヴィーのコンパクトサイズ、モンティチェロに決めました。40mmリングのアンティーク・バインダーはどれほどのエイジングを見せてくれるでしょうか。素材の厚さに期待しています。

Tuesday, March 13, 2007

白州次郎の流儀

夜、思い立って古書店に『白州次郎の流儀』(白州次郎 白州正子 青柳恵介 牧山桂子 他、新潮社 2004)を買いに行きました。「マッカサーを叱りつけた日本人」というエピソードに象徴される彼の、車好き、スピード好きというところが私にとってたまらない魅力です。

この日曜日は雪が舞う寒い日でした。ミュージック・ケア初級総合研修三重会場が終わりました。最終日の今日は30曲の復習と午後のセッションと、充実した実り多い一日でした。155期生のみなさんの健闘を祈っています。

「音楽療法を音楽の言葉で語りたい」という私のこだわりが刺激されて何冊か本棚から出して来ました。
ノードフ&ロビンズ『障害児教育におけるグループ音楽療法』(人間と歴史社 1998)
クライブ&キャロル・ロビンズ『ポール・ノードフ音楽療法講義 音楽から学ぶこと』(音楽之友社 2003)
ケネス・エイゲン『障害児の音楽療法 ノードフ・ロビンズ音楽療法の質的リサーチ』(ミネルヴァ書房 2002)
井上直幸『ピアノ奏法 音楽を表現する喜び』(春秋社 1998)
若尾 裕『奏でることの力』(春秋社 2000)
これにプラスして、若尾裕がカワイの『あんさんぶる』に執筆しているエッセイです。
『ポール・ノードフ音楽療法講義』の言葉は音楽の言葉そのものだと私は思います。音楽論としてのアーテキュレーション(楽曲分析)がそこにあります。音楽のパラダイムがイニシアチブを持つ音楽がそこにある。音楽療法の音楽は音楽として美しくなくてはならない、と私は思う。

Saturday, March 10, 2007

愛の挨拶

愛の挨拶
木曜日に勤務先の養護学校で卒業式がありました。その日の朝は冷え込んで鈴鹿山脈はうっすらと雪化粧をしていました。卒業式が始まるまで、式場には「愛の挨拶」と「カヴァレリア・ルスティカーナ」が流れていました。「愛の挨拶」の冒頭のチェロは喩えようもなくあたたかい音でした。増設したPAは手を伸ばせば触ることができるような音の輪郭を描いていました。このBGMに“幸せ”を感じたのは私だけではなかったようです。卒業生の門出とこれから出会う新しいつながりをこの上なく祝福する音楽、音でした。

Sunday, March 04, 2007

本と食器

3月の日曜日のポコ・ア・ポコは8家族のみなさんに来ていただきました。とても暖かい日で、早々と暖房を切ってゆったりとセッションを進めました。みんなみんな一生懸命セッションに臨んでくれて感謝しています。今月も終わりのシャボン玉をずっと見つめることができました。

日曜日の朝はNHK-BS2の「週刊ブックレビュー」が楽しみで、今日は朝食をとりながら観ていました。私は毎朝ヨーグルトを食べます。もちろんプレーンで、ご飯一膳くらいずつ食べるので消費量はけっこうなものとなります。蓋の内側に入っている別袋のグラニュー糖は台所のかごに山積みです。1年くらい前にヨーグルトを食べるときに使っていた陶器を割ってしまいました。青磁のような風合いでお気に入りでした。以来、雑貨店の前を通る度にヨーグルトを入れる食器を探していますがなかなかいいものがありません。そうして食器たちを見て回るのも楽しみなのですが。私が購読している新聞も日曜日は読書のページが4ページあって楽しみです。そうして本について見聞きすることは食器売り場を見て回ることと似ているように思います。

Saturday, March 03, 2007

小児科で

今週のNHK-TV「プロフェッショナル」はシリコンバレーで半導体開発の会社を起業した渡辺誠一郎でした。彼もMac使い…ということはさておき、彼の“メモ”はMacの15インチのノートに書き込んであって、そのファイルの拡張子は.ppt、つまり、マイクロソフトのPower Pointでした。スライドにメモをしてあるかのようでした。思い出したのがマイクロソフトの「One Note」で、そんな感じでした。テキストも画像も音声も、デジタルファイルであれば何でも貼付けられます。渡辺誠一郎は1枚のメモを数年にわたって書き込むことがあるとのことでした。「One Note」はそうやって使うものなのかと腑に落ちた次第です。

映画「マリー・アントワネット」で印象的だったシーンに、廊下を歩くマリー・アントワネットの姿がありました。ベルサイユ宮の廊下、というのだろうか、回廊のような所を歩くシーンです。14歳で嫁いだ彼女が、好奇心に目を輝かせながら、胸を躍らせながら、悩みながら、思案しながら、そして、ついには、打ちひしがれて歩く姿と、そして、そのときどきの音楽が、ベルサイユ宮で翻弄された彼女の諸相を描いていました。このシーンの音楽たちが印象深いのはかなり仕組まれた構造だからでしょうか。

所用で小児科に行きました。発達障がいの子どもがたくさん来る病院ですが、今日は知っている子はいませんでした。小児科はあかちゃんや子どもがたくさんいてすごくかわいい! 医師になるなら小児科医だと思いました。そこでミッフィーのシールをお土産にいただきました。春だから黄色地のシールにしました。

昨夜は地元の市が夏休みに行っているサマースクールのボランティア養成講座のプランニングでした。伝えたいメッセージがたくさんあります。私もPower Pointのスライドにメモして構想を練ろうか…

Tuesday, February 27, 2007

夜、台所でオリーブオイルとニンニクを入れたフライパンを落として床にオリーブオイルを撒いてしまいました。キッチンペーパーでは拭き切れず、タオルを固く絞って拭く、拭く・・・それでも床の滑りやすさは残っています。どうしたものだろう。ワックスをかけたみたいにちょっと光っています。滑ってこけないように慎重に歩く、歩く・・・

養護学校教諭免許の申請をしました。養護学校教諭免許はこの4月から特別支援学校教諭免許と読み替えられますが、免許取得に必要な単位が増えるので今年度中に取得です。国立特殊教育総合研究所の認定講習で単位を取得したのが2000年でした。あの2か月がなかったら今の私はなかったと思います。私に研修を勧めてくれた先輩に感謝しています。

鮫は泳ぐことをやめて止まると呼吸ができなくなって死んでしまうといいます。生きるためには止まれない、休めない、というエピソードです。ミュージック・ケア総合研修のスタッフで話をしていて自分たちをサメになぞらえていました。ただただ前に進むしかない、休んだらそこまで、ということです。さすがにセーブすることを覚えてバーンアウトするようなことはないと思いますが、私はそんな性分です。休めない。

トランスといわれる音楽のカテゴリーがあります。打ち込みによるゆらぎ感のないリズムの刻みにフレーズ感の少ない音が重なって終わりのない旅をしているかのような音楽、というと怒られるかな? iTunes STOREではダンスのカテゴリーに入っていて、2006年のトランスのベストを見つけたので、先日、“勉強”のために購入しました。聴いていると20年も前にレコードで聴いたジャン・ミシェル・ジャールを思い出しました。アルバム「Equinoxe」は昨年CDで買い直しました。こちらはドラマとストーリーを感じますが、トランスという音楽はその文脈がわからない。でも、何を考えるともなく考え事をするときのBGMにはいいみたいです。

Saturday, February 24, 2007

映画「マリー・アントワネット」

録画したNHK-TVの「プロフェッショナル」でスーパーナースの特集番組を観ました。クリティカルケアの専門看護師です。大学院で学び直した高度な専門性と、自分と語り合う姿勢にただならぬ感動を覚えました。彼女のいちばんの“強み”はベッドサイド、臨床です。これは特別支援学校に求められる文脈でもあると思います。テロップは断片でもあり、切り口でもあり、核心でもある。「ベッドサイドに答えがある」「希望をつなぐ」「迷わず走れ、そして飛び込め」「患者と向き合う」等々。これらは教育の言葉でもあるはずだ。「『弱さ』が持っている『強さ』がある」(茂木健一郎)という人の「詩と真実」もそうだ。医療も教育も最前線の人と人との営みが大切だ。

夜、映画「マリー・アントワネット」のレイトショーを観に行きました。ハリウッド映画以外の何ものでもない映画ですが、音楽好きの私には十分に楽しめるしあれこれ考えてしまう作品でした。まず、21世紀のロックと18世紀の舞踏会とが違和感なく映画のシーンになることが新鮮でした。ヴィヴィッドなマリー・アントワネットが鮮明になっていました。革命が起こったとき現実と真正面から対峙する彼女の強さが予感されます。でも、神格化ではありません。ありのまま、そのまんまのマリー・アントワネットはこんなんだったかな!?と描いている。そして、そのことで絶対君主制の愚かさを露にしている。マリー・アントワネットが悲劇のヒロインに…ということにつなげたくないのはどうしてだろう。この映画はSONYの資本によるものでした。SONYの創立者もこんな映画を制作することにつながるとはこれっぽちも思わなかったはずです。DVDの発売が待ち遠しい映画でした。

Thursday, February 22, 2007

マリー・アントワネット

先週から今週にかけて、休暇を取っては法務局や地方税管理回収機構、市役所など官公庁を回っていました。ようやく一段落してお役目ご免といきたいところですがそれまであとしばらくです。多くの人たちとの出会いがあって、それはそれで私にとっていい意味での刺激となっています。

でも、3夜連続の会合で体が冷えたのか、昨日は熱が出て早退しました。夕飯を作っていたらNHK-ETVでマリー・アントワネットの特集番組をしていました。映画が話題になっているからでしょうか。マリー・アントワネットといえば、学生の頃読んだシュテファン・ツヴァイクの同名の本を思い出します。その本はマリー・アントワネットに同情的とされながらも、革命後、王妃として、母として果敢に生き抜く姿は魅力的と思ったように覚えています。そして、今、彼女を描く映画が生まれた背景は何なのだろう。私は映画は観ていませんが、サウンドトラックの音楽が興味深くて全曲をiTunes STOREで購入しました。マリー・アントワネットと直接何の関係もない音楽です。でも、誰かが結びつけるに至ったのにはそれなりの文脈があるはずで、そこが興味津々です。映画は観たい。これは、夜、ひとりでドライブするときにきく音楽ですね! 今回のアルバム購入で私のiPodの音楽は4000曲を超えました。30GのHDDはちょうど半分が埋まりました。

Sunday, February 18, 2007

+αの空間

昨日は松阪市教育委員会他主催の「障害児教育を考えるつどい」の保育を担当してポコ・ア・ポコのプログラムをしました。“体育会系”の音楽遊びになりましたが、“これもあり”です。“そのまんま”が何よりも大事!

今日は絵画の寄贈があり、朝から勤務先に行きました。油絵です。絵はいいものです。筆の跡のひとつひとつに描いた人の刹那が在るように感じられます。その方は童話も書いてみえるとのことでした。

四日市から名古屋はすぐです。東急ハンズでフランコリン・コヴィーのコンパクトサイズのバインダーを調達しました。アンティークカーフの40mm、色は“チョコ”です。アンティークカーフは抜群の風合いで軽いのです。実物を見た瞬間に「ああ、これだ!」と思いました。40mmのリングは手帳の域を超えたスケールがあります。いくつかのことを同時進行することで+αを求める私にはこれが拠り所かも知れないという選択です。投資かな!? “バイブル”になるかも知れません。その使い勝手を教えてくれたのはクラシックサイズなんですけどね… 私が本革を好きな理由はエイジングの妙にあります。手になじむこと、使い勝手に合わせて質感が変わること、キズができても目立たなくして“勲章”としてしまうこと、等々です。そして、それを手にしているだけで気持ちを落ち着かせてくれます。自分の肌に似てくるのかも知れません。もちろん、それなりの手入れが必要ですが、だからこそ愛おしさがつのります。本革は命の証です。

Windows Vistaのチェックにパソコンショップに寄りました。ところが、Windowsの売り場は閑散としていて意外でした。Macの売り場はというと、人・人・人でした。そこで15インチのMacBook Proに触れて、これだな、と思いました。12インチがなくなった理由がわかったように思いました。+αの空間が+αの価値を生み出すのだ。

Thursday, February 15, 2007

海の色

先日、宮崎県沖でマグロ漁船が大型フェリーと衝突して沈没、乗っていた3人が救助されるという事故がありました。切断された船体が浮き沈みするシーンをニュースで見たとき、海の色がすごくきれいだと思いました。乗っていた人が全員救助されてからそのニュースを録画して何度も見ています。あの海の色は黒潮の色なのだろうか。私がこれまで見たことがない色です。強いていえばインクのブルーブラックか。海に吸い込まれそうな色です。トライアスロンでは各地のレースでいろんな海を泳ぎましたがそんな色の海はありませんでした。その海に入ってみたいと思うのです。あの海の色は抗し難い魅力があります。

ブルー系のスーツを着るようになって深い青によく目が行きます。ところが、スーツは今や無彩色のブラック系が主流で紺系のスーツは数えるほどしかありません。どうしてそうなってしまったのだろう・・・もっとも、私は“あまのじゃく”だからそもそも傍系指向なんですけどね。万年筆などの筆記具のインクもブルーブラックが好きです。アクセラとアテンザのブルーもすごくきれいです。RX-8の特別色の紺は一度しか見たことがありませんがもっといいですね。このブログもブルー系になりそう!

発達障害の子どもたちもブルーが好きな子が多いように思います。どうしてでしょうね。

Monday, February 12, 2007

音楽療法の言葉

ミュージック・ケア初級総合研修三重会場の3回目が三重県いなば園でありました。今日の講師は京都の認定指導者伊藤美恵さんで、音楽療法の周辺にわたる話をたくさん聴くことができました。音楽について、音楽療法について、そうした周辺にわたる言葉のニーズは大きなものがあります。私もそうした言葉を探しています。そして、次はどんな言葉が求められるのか。私は音楽そのものの言葉だと思います。楽曲分析を“アナリーゼ”と云うパラダイムです。あと5年、いや、3年で音楽療法を語る言葉は大きく変わるように思います。でも、音楽療法が音楽療法の言葉を獲得するにはもうしばらくかかるでしょうか。

このgoogleのblogspotが携帯から読みづらいなどの理由で他のサービスへの引越を考えています。読めなくはないのですけどね、ずっとずっとスクロールしないと読めません。使い勝手は日本のサービスが一枚上手なんでしょうね。

Sunday, February 11, 2007

2月のポコ・ア・ポコ

2月のポコ・ア・ポコは10家族のみなさんに来ていただきました。みんなみんな常連さんでなんと見事なことか! 私の方が却ってあれこれ考え事をしてしまってカウントをまちがえてしまいました。私自身のスキルを磨かないといけません! 「典子は今」の最後のピアノの音が減衰して消えて、追うように音もなくシャボン玉が割れて消えたとき、ポコ・ア・ポコの空間は息を呑むような静けさに包まれました。みんなみんな素敵でした。

セッションの後で本屋を3軒回りました。1軒は古本屋です。寒くて着ていたダウンが温かくて立ち読みもまた愉しみでした。『トライアスロン』3月号(ランナーズ)と金子郁容『コミュニティ・スクール構想 学校を変革するために』(岩波書店 2000)を買いました。金子郁容さんのことを木曜日のブログに書いたばかりで、古本屋でこの本の帯の彼の名前が目に留まるとはなんという奇遇! 自分がするべきことをまた考えてしまう。

PowerBook用にインーナーイヤー型のヘッドホンを調達しました。オーディオテクニカの廉価版ですが、これがなかなかメリハリが効いて低音もよく再生します。高音はちょっとうるさい。iPodに付属のヘッドホンはもっとソフトな音ですが、どちらも比べてどうのこうのという音ではありません。楽器や歌が“そこにある”という臨場感、空間の解析感がない。もっといいヘッドホンが欲しくなりますが、そもそもiPodのACCはMP3より高音質とはいえ多くは期待できません。“幸せを感じる音”はコンポを組まないと聴けませんね。

Saturday, February 10, 2007

タンジブル

木曜日放送のNHK「プロフェッショナル」は知る人ぞ知るところで大きな話題になっているようです。Macファンはもうぞっこんです。そして、私はもうひとつ、「タンジブル」の概念に意を得たりです。「身体で聴く音楽」をキーワードとする私のライフワークに+++です。先日買った『Mac People』3月号(ASCII)に石井裕はこう書いている。「『モノをつかみ、それを身体空間の中で操作する」ーこのプロセスを通じ、人間の頭脳と身体を使って現実を理解する。さらにそのプロセスを周囲の同僚と共有することにより、お互いの理解を確かめ合ったり、教え合ったりも自然にできる。これは私の研究テーマ「タンジブル」の根本的なアイデアである。」子どもの発達、成長における関係性の発達のモデルがまさにそれではないか! 子どもは身体で考えるのだ。音楽も身体で聴くものなのだ。話が飛躍するようですが、またスポーツをしなければと思っています。

フランクリン・コヴィーのユニバーサルは予想以上の“極薄”紙で少なからずがっかりでした。そして、バイブルサイズ+1cmのコンパクトサイズはこれもちょっと考えもので、このサイズで何をしようっていうの!?という感じです。でも、携帯性は無視できない。4cmリングのコンパクトサイズ、そして、オリジナルの紙質という組み合わせはどうだろうなどと悩む。視野の絶対サイズは思考を規制するように思えてならない。やっぱりクラシックサイズかも知れません。欧米の“エグゼクティヴ”が“大きなサイズのノート”を使って、そして、到達するゴールが“ちがう”のも当然だと思う。またまた話が飛躍しますが、PowerBookG4も15インチにしておけばよかったと、これはMacを使っての実感です。話は戻って、私のフランクリン・コヴィーのイタリアン・カーフは2年近く使って絶妙の感触です。光沢のあるレザーは車の塗装のようです。今更手放せないというのが率直なところです。30cmのクラシックサイズを使いこなす術を見つけなければ!

先週から携帯メールマガジン「黛まどかの俳句でエール」の配信を受けています。わずか17文字ですが、毎日、“詩と真実”に触れる大切なメルマガです。俳句を「第二芸術」と言ったのは桑原武夫です。大学1年生の私は桑原武夫の「第二芸術論」に傾倒していました。私は過激なレポートを提出して過激な評価をもらったりしました。今は、俳句も桑原武夫も、それぞれの文脈を理解しているつもりです。

Thursday, February 08, 2007

「クレアおばさんのシチュー」

昨夜、冷蔵庫のシチュー用の肉がなんだかあやしくなっているのを見つけて、これはたいへん!と深夜にビーフシチューを作りました。「クレアおばさん」シリーズのシチューです。水を1500ccも使って1箱分です。私は野菜をたくさん入れて、昨夜は1300ccくらいの水でした。クレアおばさんのシチューはやさしい味で私のお気に入りです。一晩置いたシチューはさらにやさしい味でした。

今夜のNHKの「プロフェッショナル」はMIT(マサチューセッツ工科大学)の石井裕教授でした。「石井が考えた新たなコンピューターの概念は『タンジブル』。現実のモノを触ることで、コンピューターを簡単に操作する夢の技術だ。」(NHK)そう、ここでも人が自分の身体で直接操作するシステムが探られている。NINTENDOのWiiのコンセプトとも相通ずる。そして、すごく興味深かったのは、学生たちと議論をするとき用いるのは模造紙大のペーパーとカラーマーカーで、それは思考のプロセスが残るからということだ。彼の筆記用具はラミーの万年筆で、これもアナログのアイテムです。彼はブルーブラックのインクでノートに絵を描く。石井教授の「プロフェッショナルの道具」でいちばん大切なのは、と言って鞄から出したのは15インチのPowerBookG4でした。番組はMacだらけでした。なんだかうれしくなりました。

昨夜は地元の“町づくり”グループの会でパンフレットに載せる言葉を考えました。6人で考えていて、話をしているとアイデアが次々と浮かんで、でも、みんなの思考が同時に止まるようなときがあって、それはそれで心地よい時間でした。話を進めていくうちに、「元気」「力」などの言葉ではなくもっとちがう言葉を求めていることに、これもみんな期を同じくして気がついていたようです。私は、ふと、昨年11月に京都市立西総合養護学校のコミュニティー・スクール・フォーラムで聴いた慶応義塾大学の金子郁容教授の講義を思い出していました。「ソーシャルキャピタルが豊かな地域コミュニティー」「弱さが力になる」などのキーワードです。私には、それらの言葉の文脈が経営品質や質的評価とつながっているように思えてなりません。

立春が暦だけではなくてほんとに春が来たような陽気です。伊勢自動車道から見える菜の花畑が満開ですごくきれいです。黄色は菜の花の黄色がいちばん幸せを感じる色だと思います。

Friday, February 02, 2007

雪はきれいだ。朝、暗い中を出勤してスクールバスの運行を見守る。何よりも子どもたちの安全安心が大切。朝日に輝く雪、音の輪郭がみえるような小鳥の鳴き声、吐く息がいつになく白く大きて自分の存在をあらためて知る冷え込む朝、凛とした空気が私の感覚を研ぎ澄ます。夜、一日が無事に過ぎて帰路に着く。マニュアルミッションのシフトの1回1回がセレモニーのようでした。

Wednesday, January 31, 2007

「千の風になって」

アテンザが戻ってきました。新車保障でパーツを何点か交換してもらいました。フロントのベンチレーテッドディスクのローターは新品になって白銀色に輝いています。気になっていたところはやっぱり交換の対象だったようです。細かな振動やノイズが気にならないレベルになっています。どこをどうしたということではなく、いくつかの小さなことの相乗効果としてそうなったのでしょう。このあたりはディーラーならではの車検整備だと思います。整備代金もリーズナブルでした。久しぶり、といっても日曜の夜以来の3日ぶりのアテンザは、四肢をそれぞれ分離かつ協応させて操るマニュアルミッションで実に気持ちのいいものです。運転も自ずからていねいになります。夜、CDショップの駐車場に佇むシルバーのアテンザは美しいと思いました。

そう、今夜、ふと思い立って秋川雅史の「千の風になって」のCDを買って来ました。これまでの死生観を超えるような概念の存在を思う詩と曲です。この歌がCDのベストセラーになっていることに少なからず安堵を覚えます。

ディック・ブルーナの絵本に「ミッフィーのおばあちゃん」があります。死んでしまったミッフィーのおばあちゃんのことが描いてあります。小さな子どもに死ということを話したくて書店で探した本です。死のとらえは難しい。難しいけど誰だっていつか死ぬ。死を求める人もいる。思いがけなく早く訪れる死を迎える人もいる。死にたくてもなかなか死ねない人もいる。「千の風になって」は、そう、ひとつのこたえなのでしょう。

Sunday, January 28, 2007

アクセラのDNA

夕方、アテンザを車検に預けてきました。代車はデモカーのアクセラです。色は深みのあるブルーでとてもきれいです。ライトオンでメーターがブルーに光ってCM通りですが本物の方がずっときれいで神秘的ですらあります。その輝度を連続して変えることができるところがまたにくい。輝度を落とす方が私の好みに合っています。(私のアテンザは2段階で変えることができるので輝度を低くしています。)ボディはアテンザよりも剛性が高いように感じます。足回りも硬くて路面情報を心地よく伝えます。アテンザと同じDNAを持つ車です。エンジンはわずか1500ccですが活発でよく走ります。でも、ATゆえの操作感はやはり身体が納得しません。あと、シートが高くてサイズも小さめで落ち着きません。走る、止まる、曲がるという車の基本的な資質は最高なのになんともったいない。アクセラに乗るならMTをチョイスしてシートを替えたい。などと思いを巡らせているとディーラーで見たRX-7とRX-8が目に浮かびます。

少し前にプロコフィエフの「シンデレラ」を少し聴いて、これは紛れもなくプロコの音だと魅了されました。1990年録音のアシュケナージ盤が全曲盤で、これもいつ廃盤になるかわからないので注文しました。

夜、NHK-TVの「その時 歴史が動いた」の「マッカーサーを叱った男 白州次郎」をあらためて録画で観ました。教育再生会議と国会の動向が気になるこの頃、GHQをして「従順ならざる唯一の日本人」と評せしめた白州次郎のなんと潔いことか!

Saturday, January 27, 2007

『薬指の標本』

このところ少なからず悩ましいのはフランクリン・コヴィーのサイズです。クラシックサイズを2年使ってきて、バインダーのリング径とリフィルの厚さに起因する手持ちの情報量の限界を感じてコンパクトサイズへの転向を考えています。すぐ売り切れる薄い紙質のユニバーサルの4月始まりのリフィルはとりあえず確保したものの、クラシックサイズの懐の深さと2年間使い込んだイタリアンカーフの手触りは手放しが難い。クラシックサイズの4cmリングがあったらそれで決まり!なのに、とつくづく思います。コンピュータのモニタもそうだけど、視野の絶対サイズは思考を規制する。何をどうみるかということにおける物理的条件によってコンテンツとの関係性もちがってくる、という仮説です。長期間“long term”のリフィルを携帯することで四次元のとらえもちがってきます。

小川洋子著『薬指の標本』もただならぬ一冊です。記憶の断片が次々とつながり始めました。なつかしいいくつかのシーンと音楽… 昨年の夏、音楽療法の勉強に行った東京、築地、聖路加病院…その近くのコーヒーショップとそこで出会った人たちのことが、また、思い出されます。いつか、同じ曜日の同じ時刻に行きたい。『薬指の標本』の人たちと出会えそうだから。

Monday, January 22, 2007

文体のリズム

鯨岡峻著『エピソード記述入門〜実践と質的研究のために〜』(東京大学出版会 2005)が届きました。教育が教育の言葉を取り戻すために、音楽が音楽の言葉を取り戻すために、私は質的アプローチが不可欠だと考えます。そこには哲学の言葉が必要です。そして、私は自分の言葉を見つけるための時間が欲しい。

映画「博士の愛した数式」の原作をいつしか読み終えたようです。ふと手にして開いたページから少しずつ読んで、小間切れだけど、たぶん、全部読んだように思います。小川洋子著の原作はどこを開いても小気味いいリズムに溢れていて、これが“文体”というものなんだとしみじみ思いました。私が仕事で使う“文体”の対極にある“文体”です。音楽もいいけど本もいい。

年明けに実家から『芥川龍之介全集』(岩波書店 1977〜)を全巻持って来ました。私がこの全集を買ったのは「書簡」が収められているからでした。「この頃ボクは文ちゃんがお菓子なら頭から食べてしまひたい位可愛いい氣がします。」(同第十巻)この書簡の言葉をいつも身近に置いておきたくて買った全集です。でも、今は、芥川龍之介の文体のリズムを身近に置いておきたいのです。小難しい漢語とていねいに紡がれたひらがながゆったりした時間の流れを与えてくれます。芥川龍之介も、ふと手にして開いたところから、いつでも読めるのです。

Sunday, January 21, 2007

ミュージック・ケア研修

昨日からミュージック・ケア初級総合研修三重会場が始まりました。スタッフの私にとっても基本の確かめの大切な時間です。心身ともきりりと引き締まります。155期生は22人という大所帯で、三重県だけでなく遠く県外からの参加もあってミュージック・ケアの広がりを実感します。そして、研修の合間にスタッフのみなさんとする久しぶりの気が置けない話に和みました。

Sunday, January 14, 2007

音楽の言葉

三重県いなば園音楽療法セミナーに行って来ました。テーマは「感覚統合と音楽療法」で、講師は全米音楽療法協会認定音楽療法士の岩田清美さんです。フロリダ州立大学在学中にシェリル・ケリーさんのもとでのインターンシップというキャリアがあり、音楽療法を感覚統合のパラダイムから紐解く言葉は私にとって意を得たりでした。アリゾナ州子ども神経発達研究センターの写真やアメリカの療育の現場を伝えるエピソードが大きな収穫でした。ゴール設定や評価に数値は用いながらも多職種のスタッフがそれぞれの言葉で重ねるミーティングが素晴らしい。今日の講師のような若い人たちが世界の様々な音楽療法の現場で学び、日本に伝えてほしいのです。そして、「音楽の言葉」で語り合いたい。

夜、琴の先生から電話があって、ヴァイオリンの弾き手を探しているとのことでした。私はもう弾けませんが、意欲的なコラボレーションに敬意を表したい。奏でることの価値は大きい。

Monday, January 08, 2007

散文

この休みに部屋で仕事の資料をいくつか探していて、そんなときは往々にしてちょっと気になる見つけものをしてしまいます。今回はライカの本です。いつの間にかライカの本が10冊余も集まっていて、パラパラと見出すと止まらない。ムックで記憶に残る写真を見ているうちに活字を追いたくなりました。神立尚紀『撮るライカ』(光人社 2004)はサブタイトルが「アンチライカマニアのライカ讃歌」で、報道の第一線でライカをメインカメラとして使っている著者が昨今のライカブームに真っ向からアンチテーゼを叩き付けています。使ってなんぼのライカというわけです。見せるべきはライカというカメラではなくライカで撮った写真とは然り!

探していたものは私が師と仰ぐ療育の専門家のWISCⅢの解析レポートです。発達検査は子どもの発達を一次的に数値で表しますが、それだけでは生活場面での支援に活かすことはできません。二次的に、散文として言葉で表すことが求められます。心に響く言葉でしか人は動かないのです。その解析レポートはA4で1枚です。わずか1枚のペーパーですが、親も家族も学校の先生もそこに腑に落ちる言葉を見つけるのです。言葉、語り、ナラティブ、今、こうした散文の力が見直されてきています。教育も音楽療法も、narrative based、質的評価に基づく在り様への模索をしていくときが来ているのではないでしょうか。

Sunday, January 07, 2007

春の予感

今日、1月の日曜日のポコ・ア・ポコは9家族のみなさんに来ていただきました。今日は寒いので1時間前からエアコンをフル稼働させましたが、やっぱり床は冷えます。でも、子どもたちはポコ・ア・ポコのプログラムにしっかりついてきてくれました。1年のいいスタートを切ることができたように思いました。終わっても、みなさん、その場を立ちづらいようでした。いよいよ寒さがいちばん厳しいときを迎えますが、私には来るべき春を予感させてくれるひとときでした。

Wednesday, January 03, 2007

「博士が愛した数式」の文脈

この年末年始のテレビとレンタルで映画を何本か観ました。その中で出色の作品はCATVで観た邦画「博士が愛した数式」でした。原作も制作も音楽も、すべてがひとつの文脈に沿っています。今日の日本のマジョリティの価値観、教育へのアンチテーゼを、ヒューマニズムあふれる視座からポジティブに正攻法で描いた映画といえます。そこにはひたむきな登場人物たちがいます。加古隆の音楽も映像に安定感を与えています。この映画の制作にかかわったスタッフのベクトルがこんなにも集約されていることが伝わる理由、それは、この映画の文脈の普遍性にあるのではないだろうか。もう一度観たいとレンタルショップに行ったら10枚近くあるDVDはすべて貸出中でした。すばらしい映画だと思います。

レンタルショップの本売り場では『Mac Fan』(毎日コミュニケーションズ)2月号が売り切れ寸前で最後の2冊から1冊買いました。特集は「MacでVista!」です。同じソフトでもWindowsバージョンの方が出来のいいソフトがあります。また、Windowsバーションしかないソフトもあって、1台でMacもWindowsも使えたらと思うことがあります。私のPowerBookG4のCPUは非インテルなのでVistaをインストールすることはできませんが情報は押さえておきたい。『Mac Fun』のこの売れ行きはちょっとないものです。

コンピュータ関係のこの年末年始のニュースでいちばん注目したのは、文部科学省が学校のコンピュータのVistaへのアップブレードの代わりに、なんと、Linux環境を無償配布するという発表を報じるものでした。私はさらに思うだ。TronではなくLinuxになった理由は何なのだろうと。

明日は仕事始めです。平成19年(度)は特別支援教育元年です。私の勤務校も名前が変わります。制度や名前が変わっても教育現場がこれまで大切にしてきた実践の積み上げを大切にしていきたいと思います。今日の中日新聞のトップは「子ども省」の創設だったように思います。子どもの育ちを国家プロジェクトとして横断的に強力に支える構造が必要です。

Monday, January 01, 2007

新年あけましておめでとうございます

新年あけましておめでとうございます。ポコ・ア・ポコともども本年もよろしくお願いいたします。私は今年も新しい局面が訪れるというより自分から呼び込みそうです。

大晦日のフィギュアスケートの番組「オールジャパン メダリスト・オン・アイス2006」の音楽は金聖響指揮京都市交響楽団の生演奏でした。PAを通しているとはいえ、聴き応えのある演奏で堪能しました。中野友加里さんの「クロディーヌ」を何度も聴きました。この曲はディズニーの「A Whole New World」と旋律の構造に共通するものがあるように思いました。狭い音域をゆったり行き来して終わりそうにない旋律線は宙を舞うような感覚です。優雅な演奏でした。私もまた奏でたいと思う。

アテンザはタイヤをスタッドレスに交換して洗車、室内も掃除機で掃除をしました。通勤で1日140キロを走ってキズだらけのボディも愛おしいアテンザです。今日も初詣の滝原宮へのアップダウンが続く42号線で余裕の走りでした。シフトの1回1回が新鮮です。ドライバーの意思に敏感に反応する車は“新しい脳”も刺激するように思います。運転が脳トレです。遠出の計画を立てようか…