Wednesday, March 21, 2007

ペーター・シュライヤー指揮のモーツァルト

右手の親指の関節が字を書くときキリリと痛んでこれが気になっています。原因はと考えていて、教員免許状申請用紙をボールペンでしっかり書き過ぎたことことに思い当たりました。キーボードばかり使っていて、ペンでしっかり字を書くことが負担だったようです。けっこうな痛みです。いちばんキリリと来るのは手帳にスケジュールとタスクを小さな字で書くときです。万年筆を使うべきか… 左手の手首は演劇用のドアを作ったときから痛い。リハビリにと2kgのダンベルでゆっくり身体を動かす。たかが2kg、されど2kg、身体の筋肉のひとつひとつが目覚めるようです。

ペーター・シュラーヤー指揮オーケストラ・アンサンブル金沢の演奏会に行って来ました。ペーター・シュライヤーはほんとになつかしい。シューベルトの「美しき水車屋の娘」をギター伴奏で歌う彼の歌を大阪厚生年金会館で聴いたのは25年前のことです。「美しき水車屋の娘」はギター伴奏がオリジナルではないのかと思わせるくらいの完成度で、私はますます彼の歌うドイツ歌曲に惹かれるようになりました。その頃のペーター・シュライヤーはバッハの宗教曲のレシタティーボの録音も数多くこなして輝いていました。そのペーター・シュライヤーは、今、ステージの指揮台の行き帰りも歩きにくそうで、指揮台から降りるときはバーに手を添えても不安そうでした。でも、彼が指揮する音楽はまさしく現代、今、この時、コンテンポラリーの音楽でした。全体的にアップテンポで強弱の幅も大きく、適度な緊張感をキープしながらもドライな印象です。でも、モーツァルトの「レクイエム」でははっとするくらいの“神々しさ”を感じるときがありました。モーツァルトの「レクイエム」を初めて聴いたとき感じた戦慄をしばしば思い出していました。オーケストラ・アンサンブル金沢はそれこそ珠玉の小編成オーケストラでした。シューベルトの「未完成」のテーマを奏でるクラリネットは初めて聴く音でした。クラリネットの音という印象ではなく、リードそのものの振動が手を伸ばせば触れることができるような音でした。琴との共演は、指揮が見えない位置なのにどうしてそんなにも合うのかと不思議でした。愛知県芸術劇場は勤務先から1時間余で行くことができました。コンサートホールはまさに異次元の空間でした。非日常の空間をもっともちたいと思いました。不思議なことに日常が構造化されます。

構造化といえば自閉症の支援です。今日は市内で開催された自閉症の支援の講演会に行きました。自閉症の診断は「散文的」(石川 2000)ですが、脳科学のパラダイムで納得してしまう部分があるのは相当な核心があるからだと思います。講師の知見に脱帽です。レファレンス化された「タグ」同士を結ぶもの、そのひとつが音楽であるというのが私の持論ですが、音楽療法のシーンを凡化することも実際は難しい。でも、その難しさを克服するパラダイムが教育、教育プログラムであることを私は確信しています。教育が教育の言葉で自らの価値を語ること、教育費が一般財源化される状況の中でその意義は何ものにも代え難く、喩えようもなく大きい。

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