Monday, July 16, 2007

幾たびかのThinkPad535E

朝から地元の中学校のグランドの草刈り、昼前から4時までは自宅の剪定と、一日中外仕事をしていました。午後から蒸し暑くて、水分補給の内冷とクーラーの効いた部屋で身体を冷やす外冷を繰り返しながら一気に木を整理しました。父の形見の鋸を実家から借りて来ての仕事は思いの外はかどりました。木を育てることの難しさを思う。

夕方、ふと気になってThinkPad535Eを起動、XGworksのデータを調べました。昨年のいちばん新しいアレンジまですべて保存してあってホッとしました。いざというとき、10年前のThinkPad535Eが助けてくれます。一昨年、Lavieが壊れたときはPowerPointのプレゼンテーションを引き受けてくれました。昨年のライブもThikPad535Eで演奏しました。10.4インチのモニタはスコアを書くには狭いけど当時の環境はThinkPad535Eだけです。7年前、三浦半島に持って行ったのもこのThinkPad535Eでした。XGの音源モジュールをシリアルで繋ぐとあのなつかしい音楽がよみがえりました。20世紀のThinkPad535Eと21世紀のPowerBookG4を繋いで音楽を移すというのも実に感慨深いものだ。

台風、地震と自然災害が続きました。私たちの生活がこんなにももろいものだったのかと愕然とする映像が報道されます。“経済大国”のはずなのに、今日、テレビで見る光景は何なのだろう。お年寄りがひとりで住む木造の家屋が全壊する様はほんとに痛々しい。これまでこの国が積み上げて来たはずの住文化は何なのだろうと思わずにいられない。

Sunday, July 15, 2007

三浦半島のマクドナルド

昨日は台風4号の豪雨の中、桑名と伊勢を往復して200キロ走りました。前を走る車のテールランプがどうにか見えるような豪雨なのに100km/hで流れる東名阪はただ事ではない。一夜明ければ台風一過の青空で風がとても爽やかでした。洗濯物も一気に乾いてまさに爽快です。今日も「休日のピアノ」が聴こえてきました。

今日はアナログ音源をパソコンに取り込むデバイスを調達しました。やっと、ほんとにやっとです。デバイスはSound BLASTERの「Digital Music PX」で、音質では普及品といったところです。でも、CDへの書き出しとなると結局CDの規格になってしまうので私の使い方では十分な性能です。おまけにLimited EditionとはいえMac対応の「Sound it!」がバンドルされていて、なぜかフルバージョンのソフト単体より安価でコストパフォーマンスも上々です。デバイスの設定で一思案しましたが、「Sound it!」はWindowsで慣れているのでさっそく数年来の懸案の処理をしました。「今日の料理」と「スパニッシュ・コーヒー」をデジタルデータに変換してiPodに入れました。poco a poco のセッションで使う全曲がiPodのプレイリストになったわけで、これは心強いバックアップです。あと、「おかあさんといっしょ」の打ち込みを昨年アレンジし直したので、これは音源モジュールからダイレクトにMacに入れておきたい。

PowerBookG4をこうして使っているとMacはマルチメディアの使い勝手に優れていることがわかります。あと、私のYAMAHAのXGシステムがMacでドライブできたらいうことなしなんですけどね…OSのデュアルブートならできるけど資金難です。Windowsと縁が切れない理由のひとつがこれです。

週末は閉店間際のパソコンショップに寄ってVistaマシンのメモリを調達しました。512MB増設して計1Gになりました。モニタ上でのスピード感はいまひとつですがHDDへのスワップは確かに少なくなりました。LEDの点滅とアクセスノイズが減ったことの方がストレス軽減に直結します。モニタ上のスピード感はCPUによるものだと思います。

徳永英明の「VOCALIST」をiTunes STOREで試聴してたまらず購入しました。少しハスキーで甘い声、オリジナルと距離をおいてクールで、でも、ひとつひとつの言葉に思いをこめて歌っていることがすごくよく伝わってくる。これはただ事ではない。こんな歌にサックスでオブリガードを合わせたら最高だと思う。聴きながら夜の街を走りたくなります。

マクドナルドのハンバーガーショップに行くとこの頃必ず思い出すのは神奈川県の三浦半島のマクドナルドです。暗くなる海を見ながら、なぜか思い出すのは雨の夕方ばかりですが、空席ばかりの平日の黄昏のひととき、よくひとりで過ごしたことを思い出します。もう夏なのにいつも熱いコーヒーばかり飲んでいました。

Sunday, July 08, 2007

Vista

7月の日曜日のポコ・ア・ポコは14家族のみなさんに来ていただきました。こんなに大勢のセッションでボールのやりとりをするのは始めてでしたが、ひとりひとりのお子さんとコンタクトを取れたように思いました。暖かく拍手をしていただいたみなさんに感謝しています。

昨日の朝、テレビで知るまで七夕ということに全く気がついていませんでした。空は雲に覆われていて星は全然見えない。星があまり見えないから七夕の物語が一層深い文脈を感じさせるのだろうか。でも、子どもには天の川を見せてあげたいものだ。

これも昨日、音楽療法+αのキーワードで検索をしていて『大作曲家11人の和声法』の著者、中村隆一のブログをヒットしました。「和声学講座に何が起きているのか?」というダイナマイトのようなテーマです。一言で言えば、「禁則こそ心を揺さぶる音楽を生み出す」ということだと思います。中村隆一は「アクティブな和声」と表しています。和声学上の「禁則」は私も楽曲を調べたことがあります。『明星』の付録の譜面にあるコード進行をひとつ残らずチェックしました。コードネームからわかる「禁則」を犯したのはただひとり、桑田佳祐だけでした。でも、それがどうして「禁則」なのか! 「理論家は何を隠したのか?」というブログの「Section 10」も興味津々です。

今年も夏の音楽療法の研修会をすることになって、準備をする時間は全然ないのですが、音楽の聴き方が変わってきていることは自分でわかります。今年は音響がひとつのキーワードになりそうです。「身体で聴く音楽」「四次元を構造化する音楽」が持論です。

自宅のデスクトップのDELLから音が出なくなって、サウンドボードのドライバに不具合がありそうですが不可解な症状で修復は難しく、昨夜、OSの再インストールをすることにしました。石器時代のようなMS-DOSコマンドのFDISKでHDDをフォーマットしてのクリーンインストールです。ところがサウンドボードがインストールできない。2種類のボードを試したけどダメ! わからない! 音は出なくてもせめてインターネットだけでも使えるようにしておこうと無線LANのドライバをインストールしたら、なんと、起動しなくなってしまいました。ドライバはIE5.5対応とのことで、これが起動しなくなった原因なのでしょう。だけどIE5.5なんてどこにもない。それにしても一昨日までどうやって動いていたのだろう。連日睡眠時間4時間で迎えた週末はほとほと疲れ切っていてWindows98SEもここまでと思い切りました。XPかVistaか…Macだけではやっていけない付き合いもあって1台はWindowsです。Intel-Macでのデュアルブートは資金面でボツ! 今日はVista Home Basic、スーパーマルチドライブ付46,980円を見つけて調達しました。自作より安い。RAM512MBではさすがに重いけど私のVistaの使い方だと実用の範囲です。モニタは新調せずにDELLのCRT17インチで、液晶に慣れた目にやさしく、そして奥行き感があってすごくきれいに思えます。

新しい携帯はこの1週間の使い方では一度も“圏外”になることがありませんでした。派手に思ったボディのオレンジ色は使ってみると意外に落ち着いた色調でほっとしています。防水も心強い。ただ、防水仕様のためだろうか、通話用のスピーカーの音質はいまひとつです。ネットで調べたらこの端末は探している人が少なくないようでラッキーでした。予備のボディがほしいところですが、1〜2年のうちには同タイプの新型が出るだろうし、その時はその時の選択をすることになるでしょう。

Thursday, July 05, 2007

NICU

このところ帰りが遅く、昨夜のNHKの「SONGS」はアテンザのBOSEで聴きました。矢沢永吉のアコギとボーカル、布袋寅泰のエレキギター、エルトン永田のオルガンの「もうひとりの俺」が圧巻でした。歌も演奏もすごいがいちばんすごいと思うのはアーティキュレーションだ。テンポの揺れが軌跡を引く計測器の波形をスローモーションで見ているように思われました。布袋寅泰のエレキはオールドなのだろうか、枯れた音でした。その音をギュッと締める布袋のテクニックはただものではない。矢沢の歌もいちばん冴えていたように思いました。録画は来週の再放送を予約です。

今日の夜11時はNHKの「にっぽんの現場」でNICUのドキュメントを観ながらコンビニ弁当を食べました。私が担任した子どもたちはNICUの“卒業生”です。生きろよ!と心の中で言い続けながら観ていました。

Saturday, June 30, 2007

休日のピアノ

慌ただしい1週間が過ぎて週末です。木曜金曜と小学部の宿泊学習で泊まり勤務で、家に帰ると家事の山! 朝から洗濯を2回してサンルームで干していると、となりの家からピアノの音が聞こえてきました。私も小学生の頃弾いた曲で、曲も曲集も思い出せませんが、弾こうと思えば今でも指が動くくらい好きで練習しました。きっと『バイエル』です。続いてバッハのメヌエット。もどかしい弾き方がなんとも愛おしい。ピアノが好きになってほしいと願わずにいられませんでした。

今朝は洗濯機を回しながら先週放送のNHKの「週間ブックレビュー」を録画で観ていました。ゲストの「おすすめの1冊」で、村上春樹訳、レイモンド・チャンドラーの『ロンググッドバイ』(早川書房 2007)が取り上げられて興味深いコメントがいくつかあって活字にますます惹かれていくのでした。携帯の手続きの待ち時間に読んだのはやはり村上春樹訳、レイモンド・カーヴァーの『大聖堂』(中央公論新社 2007)です。今日は村上春樹の訳が身近に思われてなりませんが、レイモンド・カーヴァーの世界に抗い難い引力を感じます。待ち時間が濃密な時間となりました。

携帯のキャリアをMNPで換えました。キャリアによって特定のエリアが切れやすくなるのは仕方のないこと。それだけで性能を云々するわけにはいきませんが、古巣に戻って使い勝手はぐんとよくなって「満足度1位」は納得です。新しい携帯といっても1年以上前のモデルで量販店の在庫のラスト1台でした。防水、対衝撃で、色はオレンジです。旧いモデルなので対応メモリーカードの容量が512MBだったりワンセグ非対応だったりとしますが、電波の安定度、処理速度の速さ、通信速度の速さなど、同じ3Gとは思えないくらいです。ところが、そんな今日はアメリカのiPhone発売が報じられてちょっと複雑な心境です。日本での発売は来春だとか。携帯でMacOSがあんなに走るとは驚きですが、キャリアはどこになるのか、それが気になります。

Wednesday, June 27, 2007

豚肉と野いちご

深夜、といっても11時過ぎからカレーを作りました。このところハヤシに凝っていたので今夜はさすがにカレーです。どちらも帰りが遅くても温めるだけでOK! ニンニクとたっぷりのオリーブオイルを弱火でゆっくり温めてから野菜を入れます。ローレルの葉っぱを大きくちぎって入れて、スパイスはめんどうなのでオールスパイスを使います。ルーを使っても工夫すればそれなりの出来になろうというもの。朝までゆっくり冷まして冷蔵庫に入れておきます。そうそう、今日はポークカレーで豚肉のブロックを包丁で薄く切りました。ピンクと白い脂肪のコンビネーションがとてもきれいでした。

先週の続きになりますが、今私が使っているテキストエディタはSmultronというフリーソフトです。Smultronとはスウェーデン語で「野いちご」の意味らしく、その発音すらわかりませんが使い勝手は上々です。英語のサイトからダウンロードしましたがいきなりの日本語表記で入力も今のところ問題ありません。Windows同様テキストエディタはプログラム開発やHtml編集のために開発されたものですがただの物書きにも重宝しています。お洒落なデザインでMacOSXとお似合いです。アイコンはいちごを真上から見たイラストで、そうと言われなければスウェーデン語を知らない限りいちごとは思えません。いちごを真上から見るという発想がすごく面白い。機能面ではタブのクリックで複数の文書を瞬時に行き来できるところもいい。使いやすいエディタです。

Saturday, June 23, 2007

「知子の情報」の卓見

昨日、職場でファイル管理の話をしていて「知子の情報」というアプリケーションソフトを思い出しました。このソフトはWindows3.1か95の頃発売されたもので、とにかく古いのですが、しばしば気になっていました。名前が少々あやしいけど、文書管理と検索にかけては「卓見」といえるアイデアが盛り込まれているように思います。思う、というのは、使いかけて間もなくLavieが壊れ、それからMacを使いだしたのでWindows専用のソフトが使えなくなって「知子の情報」を云々するまで使い込んでないからです。弁護士や大学教授に人気があるとか。このソフトはテキスト情報を1つのファイルにまとめてしまうところが卓見に値する。そのファイルはときとして膨大になるが、テキストの検索はコンピュータにとってはお手ものもだ。このブログも1年1ファイルでどんどん書き足しています。行数こそかなりありますが、ところどころに日付や簡単な見出しを入れておけば検索機能を使わなくても探している記述はすぐ見つけることができます。そもそも時系列は人がもっとも得意とする記憶の構造化です。1件1ファイルの管理との使い分けが肝要かと思います。

今日は朝から夜まであちこち移動していくつかの用を済ませてきました。夜はオプションですが、レンタルショップに寄ってTOTOのベストアルバムをレンタルして来ました。すごくなつかしいけど録音が旧くていまひとつで残念。音の分離、定位、ダイナミクス、抜け切らない音質そのものと、“聴き替え”をしながら聴くことになります。四半世紀も前の録音だからこんなのかなと思いますが、先日亡くなったZARD坂井和泉のCDも同じような印象です。ZARDの曲はリミックスをしてほしいところですがこれは好みかも知れません。

Thursday, June 21, 2007

吉田秀和と加藤周一

今日の朝日新聞の朝刊に吉田秀和の「音楽展望」がありました。はて、こうした批評は夕刊の文化欄のテリトリーではなかったのかと思いますが、夕刊の購読数がかなり減って来ているようで朝日は朝刊に引越させたのかも知れません。今日の見出しは「理のある演奏 解釈尽くし奏法追求 新しく美しく蘇る曲」です。彼の音楽批評はいつもコンテンポラリー(同時代)というスタンス、最前線に身を曝す言葉が整然と並んでいて緊張感があります。今日も時事評から入っています。冒頭で加藤周一の名前を見つけて私は重い文章を一気に読み通しました。「例えば、加藤周一さんのコラム。彼はー特に近年は、世の流れに逆らっても、信じるところを主張する。彼は常に知の限りをつくして「理」を説く。」吉田秀和も加藤周一も著書は座右のものでした。加藤周一の『羊の歌』『続羊の歌』(岩波新書)は時が経つのを忘れて何度も読み返したものだ。このふたりがこうしてマスメディアに名前を連ねていること自体が心強い。

職場にWindows Vistaが入って少しずつ触っています。モニタは鏡面タイプで、デザインで頑張ったVistaはその魅力をアピールしています。直感的に安定感があるOSです。XPが安定感でかなりいいところまでできていたのでここしばらくは買い替え需要はないと思いますが、手持ちのXGシステムが動くなら1台はほしいところです。

Wednesday, June 20, 2007

俳句

今日の朝日新聞の朝刊に「千の風になって」の6段抜きの特集記事がありました。その中の宗教関係者と宗教学の大学教授のコメントにいささか違和感を覚えました。死生観は多様であり、その多様な死生観を受容する宗教であってほしいと思っています。

「黛まどかの俳句でエール」のメルマガを毎日読むようになって俳句が身近に感じられるようになってきています。俳句が「第二芸術」だと反発していた大学1年の頃、吉屋信子が「歌人に比べて俳人は破滅型の人生を歩む人が多いようだ」というようなことを本に書いていて、それも俳句を遠ざけていた理由のひとつでした。それから30年、発達障がいの子どもたちの認知の仕組みを理解しようとする勉強のプロセスで、俳句という自己表現の形とどこか共通するところがあるように思えてきました。俳句は文脈の断面を短い言葉で見せてくれます。言葉で見せる、この認知の構造は視覚的で、“Picture Thinking”だと思う。ネットで探した黛まどかの句集『夏の恋』(学研 1996)が今日届きました。ハッセルとRDPの組み合わせと思しき沢渡朔の写真も印象的で、奥書に「俳句写本」とあります。このような俳句の在り様もいい。だけど、私は俳句を作ろうとは思わない。ひたすら長い文章を書きたくなります。不思議なものだ。

こんな事を書きながら、今夜は尾崎豊を聴く。

Saturday, June 16, 2007

池袋の高速バスターミナルで

朝からアテンザの洗車をしました。今日は掃除機で車内の砂も取ってさっぱりしました。フロントバンパーはますますキズが増えて高速通勤140kmの勲章です。走行距離は金曜日に9万kmを超えましたが不具合は全くありません。よく走って頼もしい限りです。

アテンザの洗車をしていて、なぜか、昨年の夏、池袋の高速バスターミナルで出会った父子のことを思い出しました。夜11時に子どもの姿を見かけることがそもそも“ない”ことですが、5歳くらいのその男の子は発達につまずきがある子で、私は目が離せなくなりました。どうしてこんな時間に父と子がここにいるのだろう・・・歩道の路上ライブの前に座って、バックパックに手を入れてちぎったパンが歩道に落ちて、それを子どもに食べさせようとして・・・そんな光景が私の胸を締めつけました。どうしようもない現実なのだろうか・・・その父子に何もできない自分に無念さだけが残りました。“美しい国”には程遠い現実が多々ある。

NHK-BSは72時間ニューヨーク特集で、ロッド・スチュワートのライブもありました。今年、彼は62歳です。歌声も立ち居振る舞いも若い! 奏でる音楽はますます磨きがかかって素敵だ。こんなふうに歳をとりたいものだ。

Friday, June 15, 2007

150円のタオルセット

今週の木曜日〜金曜日は中学部の宿泊学習で三重県立鈴鹿青少年センターに行って来ました。よく考えるとそこは私が高校の頃利用した記憶があって、その頃壁に掛かっていた般若心経の織物が、だから30年間ずっとそこにあります。総合研修館とよばれる体育館のようなホールのピアノはその時の“つどい”で弾いたYAMAHAの初代CF(フルコンサート)です。弾いた、といってもバッキングです。なつかしい建物です。

今回の宿泊で持っていくのを忘れた石けんを現地で買いました。石けんだけでは売ってなくて、タオル、歯ブラシと歯磨き、そして石けんの「タオルセット」でした。この3点がジッパー付きの小さな白いビニールの袋に几帳面に入っていました。これで150円。タオルは薄め小さめでちょっと頼りないタオルです。でも、この150円の「タオルセット」の文脈を思うとただ事ならぬ波風が自分の中に立ちました。大量生産でそれなりの収益を上げているのかも知れませんが、そして、袋詰めは機械化されているのかも知れませんが、私は手作業でその作業をしている人たちの存在を想像してしまいます。1つ1円というような単価の仕事に携わる人たちのことです。時給に換算すると私の方がはるかに高いはずですが、でも、生活の糧という文脈では何ら変わりはありません。ワーキングプアとよばれる人たちを産み出す社会構造の“からくり”に気づかされます。

梅雨入り2日目にして早くも中休みで、この土日はアテンザの久しぶりの洗車とたまっている洗濯、そして、夏支度です。

Monday, June 11, 2007

今日からノーネクタイ

今日から半袖にノーネクタイで出勤しました。真冬でもTシャツ1枚で仕事をしていた私が6月までスーツを着ることになるなど想像もしませんでした。薄着だとボディラインが気になります。梅雨が明けたらロードレーサーで思う存分走りたい。

先週の木曜金曜と長野県千曲市に出張でした。長野県稲荷山養護学校は長野県産の唐松をふんだんに使った木造校舎で総工費は50億円とか。広い廊下と広い教室、充実した実習設備と、プランの確かさが随所に見られるものでした。2日にわたる研究協議はあっという間に終わってしまったように思いました。特別支援教育の進め方はそれぞれ県によってちがいはあるものの、特別支援教育に係る課題の本質は変わらないと思いました。外部依存型の組織は空洞化を生むという講師の言葉に頷いてしまいました。

長野は梅雨末期のような激しい雷雨もありましたが、山に続く丘陵地帯の緑がすごくきれいでした。思えばこの季節に信州に行ったことがありません。湿気が多い日で遠景は靄がかかったように見えて、写真に撮ってもいまひとつなのが残念でした。

今回携行したカメラはボディがEOS Kiss Digital Xを1台とレンズはTamuron XR DiⅡ 17-50mm F2.8の1本だけです。とにかく荷物を少なく軽くしたかったのでこの組み合わせでしたが必要十分でした。メディアは1GのCFカードが1枚で、M FineとL Fineを使い分けて100枚ほど撮りましたが、M Fineであと200枚近く記録が可能でした。バッテリーは残量表示がひとつも消えませんでした。キスデジはボディに手振れ補正機能がありませんが実用上の問題は私は感じません。むしろ、レンズやカメラの資質で云々したいと思っています。あと、サイズも大切なファクターで、今回の出張の立ち回りのスピードもカメラに助けられたこと多々ありです。

昨日の日曜日は松阪市サマースクールのボランティア養成講座第2回と日曜日のポコ・ア・ポコでした。ポコ・ア・ポコは子ども(8家族)よりも見学の方が多いという初めてのケースとなりました。見学といってもミュージック・ケアのプログラムに全員参加です。子どもたちがいつも通りのセッションを見せてくれて見学の方も満足度120%といったところでした。満足度といえば、午前中のボランティア養成講座は満足度200%でした。テーマは「自閉症の理解を深める」で、「広汎性発達障害は、発生機序も未だに解明されていませんが、人間存在の根源をなすものについての示唆を与えてくれる興味深い障害」(石川2000)という文脈に共振するものでした。

Monday, June 04, 2007

スローな時間

この冬のことだったか、文学や車、旅のことを書いている個人のサイト「蒼穹の回廊」をヒットしてブックマークに入れておきました。車は赤のアルファロメオで、昨日、そのページを久しぶりに見たらバックによく知っている建物が写っていて驚きました。私が卒業した高校の近くの美術館です。URLを確かめると私が育った地元のブロバイダーでした。コンテンツから思うところ、文学と語学に相当詳しい。誰…ということも気になりますが、これほどの物を書く人が同じ地方に住んでいることがなぜか心強く思われます。昨日は団地の一斉清掃が雨で始まりが遅くなったのでしばらくそのサイトの文章を丹念に読んでいました。いちばん驚くことは読書量です。それだけ本を読む時間があること自体がうらやましい。仕事かも知れませんが…。それにしても、本好き、車好き、バイク(自転車)乗り、ジャズ好き、猫を飼っていることまで同じなのでますます興味津々です。久しぶりにウィントン・マルサリスの「Black Cords」を聴くことにしました。

今日はこの土曜日の振替休日で、個人病院と総合病院に小一日いました。個人病院はまるでリゾートホテルのようなエントランスを入るとそこは杉材に囲まれた空間でした。木の香もいいけどやわらかな色彩に和みました。所々にふくろうの木の置物があってこれが可笑しい。ついつい目を円くしてふくろうたちの前に行ってしまいます。残念だけどそこの用はほどなく終わってとなりの市の総合病院に行きました。最新の検査機器が備えられた花崗岩の新館は、ここも病院ではなくホテルと見紛うほどのやわらかな色彩の空間でした。ここで4時間近く、本を読んだり、フランクリンコヴィーを開いては仕事の段取りをあれこれと思案したりしていました。“スロー”なひとときを堪能しました。

バイブルサイズはプランを練るにはやはり狭いなと思いながらも当面の段取りを整理することができました。40mmのリングは4月〜8月の5か月分のデイリーと1cmほどのリフィルを挟んでほどよくいっぱいです。40mmのクラシックサイズがあればいいのにと思う。それにしても“M.モゥブレィ デリケート クリーム”のなんと香しいことか! これはイタリア生まれとか。私のバインダーもたしかイタリアの革です。イタリアの歴史の深さを思います。これも“スロー”な時間の賜物だと思います。

朝、アテンザのトノカバーを引いたら戻らなくなってしまって固定できなくなりました。仕方なくカバーを荷室に垂れたまま出かけることにしました。月曜日はディーラーは休みの日だし直すのも安くはないだろうなと思いつつ走ってルームミラーを覗くとリアウインドウにポコ・ア・ポコで使うグッズの袋が映って目障りだ。ところが、トノカバーがギシギシと軋んでいた音が全然しなくなったのですごく快適なのです。要は荷物がウインドウに映らなければいいのだと気がついて、帰りに黒の布を2m買ってきました。トノカバーの軋み音がしなくなったアテンザで聴いたのはマルタの「サマーベスト」で、からりと晴れた青空の下、麦秋と青田のコントラストが際立って鮮やかに見えました。梅雨入り前の光はこんなにも透明だったのかと初めて知ったかのようです。

iTunesを7.2にアップグレードしたらデザインがまたソリッドになってしまって慌ててAqua4Tunesも最新バージョンの3.2をダウンロード、やっといつもの“顔”に戻りました。

Sunday, May 27, 2007

前任校の運動会で

5月の日曜日のポコ・ア・ポコは13家族のみなさんに来ていただきました。会場はほぼいっぱいで拍手の音が大きい! 大勢でしたが“静”の時間を見事につくることができてすごい!と感動しました。お越しいただく子どもたち、みなさんに感謝しています。

午前中は松阪市サマースクールのボランティア養成講座で「ともに生きるということ」をテーマに話をさせていただきました。豊かな地域づくりにおける個人の“力”の大きさと活かし方について現在の私の考えを述べ、また、担任の頃のコミュニケーションに係わる実践例を紹介して発達障がいの子どもの支援につながるテクニカルなヒントの提供という内容です。担任の頃の授業のビデオは4年も前のものでしたが、なつかしいというだけでなく、教室で子どもたちといっしょに過ごす毎日の意味や価値の大きさをあらためて思いました。午後のポコ・ア・ポコも含めて、これからの自分のキャリアに思いを巡らす一日でした。

今日は今の自分のどこにこんなエネルギーがあったのかと思うような一日でした。家に帰っては夕食を作りながらのキッチンドリンカーでほっと一息です。

昨日は前任校の特別支援学校(養護学校)の運動会に行きました。準備体操はかつて私がシンセサイザーで打ち込んだ音楽を使っていました。私がいなくなってもそうして“作品”が残っていること、そのこと自体に私は動揺のようなものを感じてしまいました。子どもたちの笑顔がせめてもの救いでした。自分が作った音楽が自分の手から離れて知らないところで奏されることの文脈を初めて知りました。

先週、殉職したSATの隊員の告別式を報じるテレビからX-JAPANが聞こえてきたことを思い出して、X-JAPANを聴きながら帰ってきたことがありました。ニュースによると告別式で好きだった音楽を流したとか。X-JAPANは私も好きでベストアルバムはいつもアテンザに積んでいます。X-JAPANは自分を追いつめる息苦しさを感じます。SPEEDもそうです。私がアイデンティティを感じるのはそこだと思う。クラシック音楽も緊張感が高いほど好きでアルゲリッチのピアノがたまらない。オートバイも自転車も乗るならロードレーサーしか考えられない。あのSATの隊員もそうかも知れないと思う。

Sunday, May 20, 2007

PAの音に酔う

今日出席した知人の結婚披露宴はAV面の演出に興味津々でした。ホールにセットされたPAのスピーカは4台でサイズは25cm程度でしたが効果は抜群で音・音楽の力を思い知らされました。PAシステムのあの音に酔うような感覚がありました。選曲はセンスが問われるところですが、これは定石と思いながらも次の曲が楽しみでした。手を伸ばせば触れることができるようなPAシステムの音は魅力的です。先日買った『サウンド&レコーでディング・マガジン』(リットーミュージック)5月号は音作りの世界に私を誘います。付録のCDに収録の清水靖晃のアルトサックスも音そのものに惹き込まれそうなパワーに圧倒されます。アコースティックの須川展也と対極にあるかも知れませんが私にとってはどちらも魅力的です。

フランスの新しい大統領が決まって式典などをニュースで見ました。まるでファッションショーのようなシーンもあって見入ってしまいました。政治的スタンスはともかくヨーローッパの政治家は魅力的です。私にはミッテランやコールはその典型ですがふたりとも過去の人です。演説するミッテラン大統領を後ろから撮った映像は彼が長い脚を逆V字形に大きく開いていて意志の固さを表しているように思いました。コール首相はベルリンの壁の崩壊前に東ドイツ国民を西側に見返りなしに通過させると伝えたハンガリー外相の前で涙したというエピソードが脳裏に焼き付いています。

Amazonのマーケットプレイスで注文していた村松英子の本が1冊届きました。『こころの花』(講談社 2003)で、届いてみればサイン入り初版本でした。詩集『一角獣』(サンリオ 1973)は1977年、大学1年のとき買ったように覚えています。この中の「欲しい」(1971)に惹かれてもう30年になります。このところ昔のものを持ち出していますが『一角獣』はいつも新鮮で懐古的な心境にはなり得ません。むしろ血を沸き立たせます。音楽もいいけど文学もいいとしみじみ思う。

このところ身近な人が癌と診断されることが続いて日本人の死因の第1位が癌とのメディアの報道にただごとでない状況を肌で感じています。これから自分は何をするべきなのだろうと様々な視座から考えてしまいます。命あるうちにしたいことはしておこうと、これは前々からのことです。

PowerBookのACアダプタのコンセントを欠かしてしまって太いコードを接続することになってしまいました。何かと評判がいまひとつのACアダプタなので、この際とサードパーティーの代替品を調達することにしました。純正の半額ですが評価はいい。こういうときネットは便利だとつくづく思います。だからというわけではありませんが.macのトライアルを始めました。そもそも.macの全体像というかそのアーキテクチャが理解できないと使えない印象です。

Sunday, May 13, 2007

卒業アルバム

今日で団地の仕事の役目を交代しました。この2年間、とりわけこの1年は恊働のダイナミクスと決断の重責の連続で貴重な勉強の機会でした。でも、肩の荷が下りた実感はしばらく後に訪れることでしょう。

高校の卒業写真を実家から持って来ました。卒業したのは昭和51年、1976年のことでした。もう30年も前のことです。卒業アルバムを見ると思い出が次々とよみがえります。その高校は「勉強さえしていればいい」と言わんばかりの校風で、卒業アルバムの個人写真もちょっと不思議です。男子は詰襟の学生服をきちんと着ているものの、腰まで届くような長髪やサングラスの者もいます。女子に至っては“標準服”の他に黒や紺のブレザーやオーダーメイドのセーラー服、なんだかよくわからない上着と、何でもありです。私はその高校に行って人間はなんとおもしろいのだろうとしみじみ思いました。卒業生の消息も然りです。いちばんの有名人物といえば、ポケモンの映画の最後に「スーパーバイザー」として名前がスクリーンに出る彼でしょうか。重度心身障害の子どもの専門医として仕事で時折顔を合わせる彼も同窓生です。みんなみんな、どこで何をしているのだろうと思いますが、自由な校風が生徒ひとりひとりの自己形成にどれだけ寄与したことかと、当時の先生方に敬服するところです。そうそう、毎週5キロのマラソンの授業もその高校の売り物でした。そもそもの発想は「勉強も最後は体力」とのことだったようですが、私はこの授業でマラソン・ハイを知ってトライアスロンへの道を歩むことになりました。文学にどっぷりとつかっていたその頃の私は旧制高校のリベラルな校風に憧れていたこともあって、その高校の自由な校風がたまらなく気に入っていました。私は今もその香りを求めています。

Saturday, May 12, 2007

ソフィー・ミルマン

昨日、探していた本を入手することができました。田中道治・都筑学・別府哲・小島道生編『発達障害のある子どもの自己を育てる〜内面世界の成長を支える教育・支援』(ナカニシヤ出版 2007)で、執筆の赤木和重さんのサイン本です。私が一昨年まとめた高校の特別支援教育についてのレポートでも生徒自身の自己理解の大切さに触れました。発達障害のあるなしにかかわらず、自己理解の在り様はセルフエスティームを大きく左右する重要なファクターです。今、この本を読む時間はありませんが、どのページを開いても私の目は釘付けです。

今日はアテンザでソフィー・ミルマンのアルバム「sohpie milman」を聴きました。ジャズ・ヴォーカルの定番からシャンソン、ロシア民謡まで、ソフィー・ミルマンは太い声でたっぷりと聴かせてくれます。ロシア語の「黒い瞳」も、編曲も演奏も歌も聴き応え十分です。歌詞は黒い瞳の女性に心を奪われた男の語りなのですが、歌詞がわからなくても胸が締めつけられるような曲です。ロシアの厳しい気候や帝政ロシアから社会主義体制に続く抑圧された暗い社会を連想するのは私の思い込みなのだろうか。昨年、イリーナ・スルツカヤがジプシーの曲で演技したときも似た感覚がありました。彼女の容姿と相まってロシアのことが頭を過った次第です。先日はソ連時代の社会主義体制に抵抗したチェリスト、ロストロポーヴィチが亡くなり、ロシアの大地に刻まれた負の遺産に思いを巡らしてしまいました。話はソフィー・ミルマンに戻って、このアルバム「sophie milman」は夜の街のクルージングに最高です。

このGWに実家の畑の草刈りをして携帯で写真を撮ってきました。草刈機で刈って刈った草を一所に集めただけです。携帯のレンズは広角寄りの画角なので広々と見えます。その写真を見ているとなぜか気持ちよくて、畑全体の雑草を刈って丘のようにしてみたいと思いました。ただの雑草野原なのに不思議に気持ちが落ち着きます。

GWにはまた、レンタルショップで「コンコルド」のDVDを見つけました。コンコルドは60年代に開発された古参で四半世紀にわたって音速の2倍で飛び続けた旅客機です。機体はとにかく美しいの一言に尽きますが、コクピットの計器はアナログ然としていて、これでマッハ2で飛ぶのかと唖然としてしまいます。でも、基本設計が優れていたのでしょう。DVDに登場するパイロットや航空関係者の言葉が素敵です。論理的構造が刺激される飛行機云々という表現はとりわけ興味深い。もう一度レンタルしてテロップをメモしておきたい。PowerBookのデスクトップもコンコルドにしてしまいました。

フランクリン・コヴィーで買ったモゥブレイのデリケートクリームを手持ちの革のバインダーに塗ってそのしっとりとした手触りと優しい光沢、そして、なんともいえない香しさにうっとりです。数年前に初めて買ったフランクリン・コヴィーのバインダーも復活、クラシックサイズのイタリアン・カーフもますます愛おしい。仕事で使っているコンパクトサイズの40mmはオフタイムにはやはり重過ぎです。オフタイムのメモには25mmまでのバインダーに無地のリフィルが最適です。まさかのバインダーの使い分けです。

Friday, May 04, 2007

CBR600RR

以前から気になっていたバイクの名前がわかりました。歩道に止めてある車体のプリントからネットで調べるとHONDA CBR600RRでした。特徴はエキゾーストパイプがリアタイヤの真上にあることと、全身が運動神経の塊とアピールする引き締まった小柄なボディと抜群の回旋性能を証明するかのような高い位置のステップです。ライディングスタイルはレースと見紛う前傾です。乾燥重量は166kgですから250cc並み。これでよく走らないわけがない。また乗りたいと思わせるバイクです。その前に大型の免許を取らないと乗れませんが…

中型の免許の試験のとき私が選んだバイクはHONDA CB系直四とVFR400Fの中から後者でした。CB系直四は安定志向で重量感があってエンジンもマイルドということもあり試験で人気がありましたがバイクとしての面白味みがいまひとつでした。一方のVFR400Fはアクセルに敏感に反応するエンジンと軽量なボディでバランスが取りにくいものでした。教習でも後半で使いました。でも、慣れると一体感があって意のままに乗れそうに思いました。その一体感は自転車のキャノンデールのロードレーサー、Saecoレプリカのそれとよく似ています。CBR600RRはさらに一体感があるように思います。血が騒ぎます。

今日は気がつくと本田美奈子の「ニュー・シネマ・パラダイス」が頭の中で鳴っていました。病院の壁の骨髄移植のポスターに彼女の写真が使われていたからでしょうか。私はこの映画を観たことがありませんがモリコーネの音楽は耳について離れなくて、日本語で歌う本田美奈子の歌詞で“事の次第”がそれとなくわかってますます気になる1曲となりました。などといいながら、夜、iTunes Storeでcobaのアルバムを購入しました。音楽遍歴はますます混迷を深めていきます。

Thursday, May 03, 2007

「あぐり」

「あぐり」
朝から所用の合間に古書店に寄って見つけたのがNHK連続テレビ小説「あぐり」のオリジナル・サウンドトラック・アルバムです。1997年放送なのでちょうど10年前の作品です。音楽が素敵でした。このアルバムは組曲版が収録されていて、バイオリンコンチェルト風でとてもおしゃれです。NHKの劇伴でなかったら様々なシーンで使われているにちがいない音楽です。演奏も録音も心が温まる逸品です。その音を聴いていて思い出すシーンがあります。2005年2月に京都市立総合養護学校の文部科学省教育研究開発学校指定研究中間報告会に出席したとき、1日目の会場“みやこめっせ”では開会前にオーケストラ演奏のビートルズが流れていました。現代建築の“みやこめっせ”とオーケストラ演奏のビートルズとの組み合わせは、歴史の街、京都で総合制・地域制の養護学校を再編した革新の取り組みの提案を予感させるフェアな清々しさを伝えていました。そのときの演奏はレーモンドルフェーブルだったかも知れません。「あぐり」のアルバムもそうしたシーンと共通する文脈を感じさせる音楽、演奏、録音です。

Wednesday, May 02, 2007

『うちの食卓』

タエコ・フォルトゥナーティの『うちの食卓 北イタリアの食卓』(白夜書房 2007)が届きました。ブログ「うちの食卓」はどうやって知ったのか覚えていませんが、なぜか縦長ばかりのイタリアの家庭料理の写真に魅了されてしまいました。縦長の写真はまさに「切り取る」センスが光ります。本の縦横比もちょっと細長くてめずらしいサイズです。コメントもウィットが効いていて楽しい。主役の料理はとてもおしゃれだけど気取ってなくて、毎日の食卓を楽しいものにしてくれる身近さを感じさせます。この料理の作り手にしてこの写真を撮るセンスです。この言い回しに妙に納得してしまいます。それにしてもこんな料理が並ぶ食卓は楽しい。素敵だ。そう思うのも、ここのところコンビニの弁当に頼ることが多いからかも知れません。

去年の夏に買った松阪木綿のペットボトルカバーを探していてCRCを見つけて、動きが硬かったラジペンチに差して、留め金が曲がってうまくロックできなくてしばらくはずしていたネックチェーンを直しました。ふだん身につけているものがなくなるともの足りなくなります。でも、ふだん身につけていたくなるものを想うことがあります。ネックチェーンに着けたいもの、それは、ジャンボジェットのタービンブレードを加工したペンダントトップです。十数年前に全日空が作っていたもので機会ある度に探していますが入手できないでいます。この夏は空港のショップ巡りをしようかと思っています。

久石譲の『感動をつくれますか?』(角川Oneテーマ21 2006)を書店の平積みで見つけました。「モノづくりは感性に頼らない!」という帯のキャッチコピーに意を得たりです。技術や技法はどれだけあっても邪魔にならない。むしろ、そうした技術的なノウハウは新しいものを作り出すための肥えた土壌になる。地図は何枚もいるものなのだ。『ハウルの動く城』でテーマの3拍子を聴いたとき、私は「やられた」と思いました。映画を観ていてこんなにも次の音楽が待ち遠しい映画はちょっとありません。

この本で芸術における時間軸の役割についてこんな記述があって興味深い。「本当のところはよくわからない」としながらも「…音楽も文学も映画なども、時間の経過のうえで成り立っているものは、論理的構造を持っているということだ。それに比べて、絵は作品が表現するものが見た瞬間にわかる。瞬時に世界を表現できる力がある。時間の経過を伴わない分、論理的なものより感覚に直に訴える。だから、絵の人は考え方や行動においても、感覚的なものが突出する面が強いらしいのだ。」とあります。瞬時の視覚情報と時間軸上の論理的構造は脳によって使い分けされていて、このコンビネーションがその人らしさを作っている要素のひとつと考えられます。視覚情報が記憶となり、記憶の選択と組み合わせ、つまり、その人なりの論理的構造が生まれる。そこに聴覚情報や生理的な要素、心理的な要素が加わる。音楽はそれら様々な要素に論理的構造を与える。ただ、私はこのところ音楽の時間的要素であるリズムやテンポ、間(ゼネラル・ポーズ)の機能にとくに関心があります。全体の時間もそうです。では、絵を見続ける時間、制作にかける時間そのもの、絵が含む時間軸のような要素は論理的構造とはならないのだろうか。

この連休は晴耕雨読になりそうです。