Sunday, April 29, 2007

「見上げてごらん夜の星を」

1週間前のこと、4月の日曜日のポコ・ア・ポコは8家族のみなさんに来ていただきました。春に新しい出会いを迎えたみなさんとのポコ・ア・ポコです。これから始まるわくわくが待ち遠しい空間は新学期ならではでしょう。来月も楽しみです。

ゴールデンウィーク前日の朝は東名阪で鹿が轢かれて渋滞の中を出勤しました。仕事は分刻みであっという間に一日が過ぎ、その夜は病院に泊まりました。高度に構造化された医療のパラダイムに学ぶことが多々ありました。しかし、そこでもインターフェイスは人です。人、人、人です。今日、家に戻るとき、前を走る車のスペアタイヤのケースにブラックジャックがプリントされていました。彼も外科、切って治すが手塚治虫が描こうとした世界はヒューマニズムに溢れています。

少しずつ読んでいる本が東野真著『緒方貞子 難民支援の現場から』(集英社新書 2003)です。圧巻は巻末の講演「日本、アメリカと私ー世界の課題と責任」(1999.3.10 ワシントン マンスフィールド太平洋問題研究所主催)です。比喩ですが、緒方貞子は常に北極星を見ているということを強く感じます。その北極星は人道主義、ヒューマニズムです。

iTunes Storeのサーチでレーナ・マリアの「見上げてごらん夜の星を」をヒットしました。日本語がとても自然に聴こえて驚きましたが、それだけでなくこの歌はただごとではないと彼女のプロフィールをネットでサーチして腑に落ちるものがありました。彼女の歌もヒューマニズムの文脈に添う力を秘めています。「見上げてごらん夜の星を」は国立特殊教育総合研究所(現独立行政法人国立特別支援教育総合研究所)の研修員だったとき、講義の中でこみ上げる涙が止められず手話で歌った歌です。レーナ・マリアの歌は、でも、どこまでも前向きで、北極星を見つめている歌です。

「見上げてごらん夜の星を」は音楽的に理にかなった構造です。Fから始まるクリシェの和声進行とAmへのジャンプという定石でありながらこのオリジナリティはただものではありません。音楽の美学そのものでしょう。サックスでオブリガートを奏でたい曲です。

今日はおだやかな初夏を思わせる一日でした。そよ風にゆれるピンクのカーテンと水面のように日差しに光る網戸、遠くに臨む朝熊山と伊勢の街、わずか6階なのにこの眺望がもたらす静けさも非日常のひとときでした。

Monday, April 16, 2007

病院の一日

日曜日は大きめの地震があって勤務先に駆けつけました。駆けつけたといっても高速道路も近鉄電車も止まっていて、一般道を走って1時間45分かかりました。幸い、地震で作動するシステム以外の異常はありませんでした。この地震のとき、ちょうど私は車をドアを開けてシートに腰を下ろしたところでした。車全体が波打つように揺れて、これはドンを腰を下ろしたためかと、車外に出て意識的にドンとシートに腰を落としました。だけど揺れない。これは地震だと思いました。車のテレビをつけると地震とのテロップが出ていました。県庁の“防災みえ”からは携帯にメールが次々と届きました。一体何が起こったのだろう。勤務先に向うとき、私の携帯は途切れがちでした。災害は起こらないとわからない。そう実感した次第です。

今日は総合病院に7時間余もいました。病院の一日を見ることになりました。今日話をしたのは外科のドクターで、ある意味でEBMのひとつの極みにおいて構造化された文脈に触れたように思いました。診察時間が終わりに近づくと病院の廊下にはブラックスーツの男たちが人待ち顔で集まります。プロパーなど営業マンです。私もブラックスーツにいつものビジネスバッグという出で立ちで、私が廊下を行き来すると新顔とばかり私をチェックする視線を感じました。自分が置かれた状況によって人の見方がちがってくるものです。仕事は厳しい。

日曜日のポコ・ア・ポコのご案内を発送しました。明日火曜日には届くと思います。作り始めたら早いのですがここのところ慌ただしくて取り付く間もなかなかありませんでした。“間”がないというのは由々しきことです。

Saturday, April 14, 2007

ドミナントのシャープ

先週は日付が変わってから帰宅という日もあって頭の芯の感覚がなくなっているようです。昨日金曜日は所用で午後から休暇を取りました。異なる職種の人と詰めた話をするのは難しくもあり新鮮でもあります。紺のスーツに大きく膨らんだ黒の化繊のビジネスバッグの私は金融機関の営業マンに見えたことでしょう。その勢いで夜は映画のレイトショーに行きました。道路はなぜか車が多くて時間に間に合うかとどうかとやきもきしながらアテンザのシフトチェンジを繰り返しました。

観たのは「ブラッド・ダイヤモンド」です。相当な部分がノンフィクションだと思います。どのシーンも密度が濃くて見入ってしまいました。音楽は弦が基調のように流れていて、これはある時期のネイチャーブームの頃の音と音楽に印象が似ていました。女性ジャーナリストのバッグがドンケだったり、常用のカメラが黒塗りのM型ライカだったり、AF一眼がニコンだったりと、カメラ好きの私はそちらのチェックもしっかりしました。閉店間際の映画館のコーヒーはすごく濃くて苦くて、疲れてレイトショーを観るにはぴったりです。

今日は朝から地元の療育サークルのムーブメントでピアノを弾きました。合間に楽譜集の他の曲のページを見るとぞくぞくするような和音があって眠気も飛んでしまいました。「おおきなくりのきのしたで」のラスト2小節、コードネームにするとC→Dm7+5→Cという進行で、弾くとただならぬ空間が生まれます。前奏から歌の部分は基本の和音の展開に留めておいて最後にこの響きがくると余韻とともに達成感が生まれます。ドミナントのシャープはハーフサイズの深呼吸です。

Amazonに注文していた本がやっと届きました。金子郁容『ボランティア もうひとつの情報社会』(岩波新書 1992)、同『学校評価 情報共有のデザインとツール』(ちくま新書 2005)、東野真『緒方貞子 難民支援の現場から』(集英社新書 2003)の3冊です。この3冊に共通するファクターは何か!? 飛躍の感もありますがヒューマニズムかも知れません。緒方貞子の難民支援の文脈は文字通りヒューマニズムです。金子郁容の本は彼自身への言い聞かせと思わせる切羽詰まった言葉が並んでいて緊張感があります。私はそこに共感しているのだと思います。自分への説明のために文を書いているように思うことが少なくありません。

ドリカムの「LOVE LOVE LOVE」英語バージョンがiTunes Storeに加わりました。山下達郎の「クリスマスイブ」もそうですが、オリジナルの日本語よりもいい!?

Sunday, April 08, 2007

ポリーニのショパン

学校は新学期を迎えています。私も高校の入学式に出席する機会がありました。1000人を超える新入生と保護者、学校関係者が水を打ったようにひとつのことに集中する空間は圧巻でした。生徒が教室に移動したあとの保護者向けの説明は進路に的を絞ったもので、進路の実績がものをいう高校の厳しさを反映していました。高校は生徒が集まらなければ学校そのものがなくなります。少子化が加速化する今、高校はピンチといえますが、ピンチこそチャンスと果敢に挑む高校は活気にあふれています。京都大学桂キャンパスと見紛う新校舎に見とれてしまいました。

今日は新学期の準備で朝から休日出勤でした。鈴鹿スカイラインに続く道はバイクが連なっていました。こんな暖かい春の日、いいなぁ…と横目ならぬ真正面からまじまじと見つめながら勤務先に向かいました。ライダーたちはみな私よりも年上と見ました。自転車のロードレーサーで走っている人もおじさんばかりでした。私も元気をもらいました。

帰りに寄るクリーニング店の仕上がりまで少し時間があったのでパソコンの専門店で小一時間つぶしました。今更のWindowsと思いながらも自作パーツを見ると血が騒ぎます。コンピュータは不思議な存在です。

金曜日の夜、ショパンのピアノが聴きたくなりました。ポリーニが弾くエチュードを探したけどなくて、iTunes Storeで探して購入しました。すごくなつかしい演奏です。高度成長期、バブルの前、あの頃のひたむきさが伝わってきます。その後は、情熱的とされながらも理性的と思える演奏になってきたように思います。エチュードといえば原口統三の『二十歳のエチュード』、二十歳といえば高野悦子の『二十歳の原点』であり、その頃といえば樺美智子であり、彼女の遺稿『人知れず微笑まん』を読んだ頃の自分を思い出します。でも、その頃、彼らはすでに同時代ではありませんでした。ビートルズにも学生運動にも乗り遅れ、且つ、新人類にもなれないのが私の世代です。ポリーニのショパンはそんな私がアイデンティティーを投影してしまいます。

Sunday, April 01, 2007

音楽がつなぐ縁

地元の療育サークルの依頼でミュージック・ケアのセッションをしました。7家族10人のお子さんで、ポコ・ア・ポコのメンバーもたくさん来てくれていました。体育館の広さを使って「元気に元気にゆっくりゆっくり」で、歩く・跳ぶ・走るから始めました。1時間20分くらい、いつもより活発で長いセッションでしたが、終わりは落ち着いてにこやかに終わることができました。

会場は私が18年前まで勤務していた小学校の体育館で、その体育館が完成して間もなく異動となりました。体育館のピアノとも18年ぶりの再会です。体育館に置かれているピアノですが、思いの外傷みも少なくて、小さいながらもよく鳴りました。体育館の前は講堂でした。講堂のグランドピアノは文字通りぼろぼろでした。弾いて弾いて、なんとか表現に幅が出るようになりました。ある年の入学式で、起立・礼・着席のC・G・Cの和音を意図的に弾きました。しばらくして、ある先生からそのときの私のピアノが素敵だったと言ってもらいました。今朝の新聞でその先生が退職されることを知りました。そんな今日、その学校でのセッションの依頼があるとは不思議です。松阪市の学校に勤務したのはわずか4年だけでしたが、そのときの出会いは今も広がりがあります。ポコ・ア・ポコにもなつかしいみなさんが来てくれます。音楽がとりもつ縁だと思います。

金子郁容のことをネットで調べていて松岡正剛の「千夜千冊」のサイトをヒットしました。『千夜千冊』(求龍堂)は10万円近くする本の本の全集で、書店で見たときはその値段に驚いて手にすることもなく、だから内容も知らずにいました。でも、金子郁容の『ボランティア』(岩波新書 1992)について書かれたサイトを読んで私の好奇心が煽られてしまいました。すごい言葉だと思います。ボランティア養成講座に向けて学ぶべきことは山のようにあることを予感して戦慄すら覚えます。この出会いもまた不思議です。

先週のNHKの「プロフェッショナル」は宮崎駿の特集でした。あの空間はあこがれです。彼もわき上がるものを止められない。明日は新年後の仕事始めです。何事も真正面から、そして、フランクにいこうとあらためて思う。

Saturday, March 31, 2007

明日から特別支援学校

明日から新年度です。勤務先の養護学校が特別支援学校と名称が変わります。今日、出勤したら校門前の案内標識の校名を高所作業車で直しているところでした。三重県立特別支援学校北勢きらら学園となります。大きな節目ですが、これまで築き上げて来た教育実践のよさは確実に継承していきたいと、曇り空をバックに新しい校名表示を見つめてしまいました。

今日、やっと机の周りを片づけました。開校当時の書類もあってかなりのものを整理することになりました。なんとか新年度をすっきりした中で迎えることができそうです。

地元で行うボランティア養成講座の企画書を作っています。全国特殊学校長会が「ボランティアの手引き(初級編)」のリーフレットを作成したばかりで、これも活用したいと考えています。援助や支援は決して一方的なものではありません。ともに何かをなすことの喜びとその豊かな関係性の価値を伝えることができたらと、難しいことですが、先達の言葉を借りながら価値ある講座にしていきたいのです。

Monday, March 26, 2007

金子郁容のメッセージ

夜、ふと気になってネットで検索したことがありました。キーワードは金子郁容で、京都市立西総合養護学校のコミュニティ・スクール・フォーラム2006で聴いた彼の講演がとても重要なメッセージを伝えているように思ったからです。彼の本を2冊、ネットで注文しました。「弱さが力になる」とはどういうことなのか、「ボランティア」とはどういうことなのか、「コミュニティ・スクール」とは何なのか、彼の思索の中に社会の未来が見えるように思えます。志は大きくもちたいものです。

アテンザのタイヤの空気圧を規定の2.2に近づけて2.3kg/cmにしました。シャーシーとタイヤと人と、この三者がなじまないと車はスムーズに走りません。私は今のタイヤになじめそうにありませんが、シャーシーとタイヤはほどよくなじんで勝手に走っている感じです。とにかくスムーズに走ります。燃料計と距離計を見ているとこれまでにない高燃費となりそうで複雑!

Saturday, March 24, 2007

「愛の語らい」

朝から身体に力が入らず休養日としました。昼過ぎに届いたステファノ・ボラーニ・トリオの「愛の語らい」は郵便受けからアテンザに直行となりました。「愛の語らい」のピアノがBOSEから流れるのを待って車を出しました。「愛の語らい」は東名阪を走っていてFMで聴いてその甘いピアノの音が印象に残りました。タイヤのノイズがほとんどなくなったアテンザで聴くジャズはまた格別で何が幸いするやら…というところです。

市内の古書店で辻邦生の『辻邦生全集全六巻2 夏の砦』(河出書房新社 1972)を見つけて購入しました。この本は半年くらい前にその古書店で見つけて2〜3日して買いに行ったらもうなかったという1冊です。売り場のリニューアルでしばらく見つけられなかったのかも知れませんが、“あいつ”にやられたと思った1冊でした。“あいつ”とは、市内に住むクラシック・ファンの同級生で、辻邦生が好きなところも私と同じ、古書店巡りも隙のないこまめさです。今日買ったこの本はそのときの本とはちがうかも知れませんが、手に入れることができてほっとしています。この本は「創作ノート」を収録しているのでプレミアムものです。35年前の1200円が1500円でした。何!35年前! ぼろぼろの硫酸紙も大切にします。

ブログ「うちの食卓 Non solo italiano」が本になるとのことです。本になってもいいなと思っていたサイト(ブログ)です。とにかく写真が素敵です。なぜか縦型の写真ばかりですが、それが意図されたもの?だったら脱帽です。

Friday, March 23, 2007

わがままな脳

ここ何日か出勤すると息をつく間もないくらいで体重も下降の一途ですが、やっとそれなりに片付いて一息です。時間ができたら好きな音楽を聴きながらどこまでもドライブしたいと思うところですが、どっこい、タイヤ選びでつまずきました。

事はアテンザの夏タイヤ調達です。大きなブロックパターンのお手頃の横に少しばかり値段の高いタイヤがあって、これは複雑なパターンでした。聞くと、大きなパターンは騒々しいが複雑なパターンは静かで乗り心地もいいとか。それではと後者にしました。ところがこれがおもしろくない。アテンザが普通の車になってしまったみたいです。そういえばアテンザの標準タイヤは大きなブロックパターンで騒々しい! 轍を低速で乗り越えようとするとショルダーがくだける。アクセルに車の挙動が敏感に反応する。凸凹で飛び跳ねる。そんな癖があるからねじ伏せてのドライブです。新しいタイヤはそんなことがなくて素直。基本性能がいいということでしょう。爽快といえば爽快です。でも、おもしろくない。人ってわがままなものだ。そのわがままは脳のわがままなんですけどね…

Wednesday, March 21, 2007

ペーター・シュライヤー指揮のモーツァルト

右手の親指の関節が字を書くときキリリと痛んでこれが気になっています。原因はと考えていて、教員免許状申請用紙をボールペンでしっかり書き過ぎたことことに思い当たりました。キーボードばかり使っていて、ペンでしっかり字を書くことが負担だったようです。けっこうな痛みです。いちばんキリリと来るのは手帳にスケジュールとタスクを小さな字で書くときです。万年筆を使うべきか… 左手の手首は演劇用のドアを作ったときから痛い。リハビリにと2kgのダンベルでゆっくり身体を動かす。たかが2kg、されど2kg、身体の筋肉のひとつひとつが目覚めるようです。

ペーター・シュラーヤー指揮オーケストラ・アンサンブル金沢の演奏会に行って来ました。ペーター・シュライヤーはほんとになつかしい。シューベルトの「美しき水車屋の娘」をギター伴奏で歌う彼の歌を大阪厚生年金会館で聴いたのは25年前のことです。「美しき水車屋の娘」はギター伴奏がオリジナルではないのかと思わせるくらいの完成度で、私はますます彼の歌うドイツ歌曲に惹かれるようになりました。その頃のペーター・シュライヤーはバッハの宗教曲のレシタティーボの録音も数多くこなして輝いていました。そのペーター・シュライヤーは、今、ステージの指揮台の行き帰りも歩きにくそうで、指揮台から降りるときはバーに手を添えても不安そうでした。でも、彼が指揮する音楽はまさしく現代、今、この時、コンテンポラリーの音楽でした。全体的にアップテンポで強弱の幅も大きく、適度な緊張感をキープしながらもドライな印象です。でも、モーツァルトの「レクイエム」でははっとするくらいの“神々しさ”を感じるときがありました。モーツァルトの「レクイエム」を初めて聴いたとき感じた戦慄をしばしば思い出していました。オーケストラ・アンサンブル金沢はそれこそ珠玉の小編成オーケストラでした。シューベルトの「未完成」のテーマを奏でるクラリネットは初めて聴く音でした。クラリネットの音という印象ではなく、リードそのものの振動が手を伸ばせば触れることができるような音でした。琴との共演は、指揮が見えない位置なのにどうしてそんなにも合うのかと不思議でした。愛知県芸術劇場は勤務先から1時間余で行くことができました。コンサートホールはまさに異次元の空間でした。非日常の空間をもっともちたいと思いました。不思議なことに日常が構造化されます。

構造化といえば自閉症の支援です。今日は市内で開催された自閉症の支援の講演会に行きました。自閉症の診断は「散文的」(石川 2000)ですが、脳科学のパラダイムで納得してしまう部分があるのは相当な核心があるからだと思います。講師の知見に脱帽です。レファレンス化された「タグ」同士を結ぶもの、そのひとつが音楽であるというのが私の持論ですが、音楽療法のシーンを凡化することも実際は難しい。でも、その難しさを克服するパラダイムが教育、教育プログラムであることを私は確信しています。教育が教育の言葉で自らの価値を語ること、教育費が一般財源化される状況の中でその意義は何ものにも代え難く、喩えようもなく大きい。

Sunday, March 18, 2007

ドナルド・マクドナルド・ハウス

昨日今日といくつか書き物をして終わりました。三重ミュージック・ケア研究会が日本ミュージック・ケア研究会の登録団体として認定されたこともあって、音楽療法関係の書き物は力が入ります。責任の重さを実感します。

琴の演奏会に行きました。「おもしろ箏(そう)な会」と題する演奏会で「発表&邦楽器と洋楽器によるコラボレーション」とのサブタイトルがあります。伝統音楽のよさもわかるつもりですが、私にとってはやはり現代曲が楽しめました。洋楽器、ピアノとフルート、ヴァイオリン、ドラムスとの共演では、ダイナミクスの幅や音色の多彩さなどの表現力で洋楽器のアドバンテージを感じました。でも、琴に潜在する表現力はもっとあるはずで、ここは作曲家に期待するところでしょうか。地方都市でこのような意欲的な演奏会がもたれることの主催サイドの志の高さに敬服です。

昼、マクドナルドに行って「財団法人ドナルド・マクドナルド・ハウス」の募金箱に目が留まりました。三重県の子どもたちもたくさん県外の病院で入院をしています。養護学校に勤務していると県外の病院で知り合った三重県つながりのエピソードを聞くことがあります。三重県にも産科からの小児専門病院ができることを切望し、私も何かしらの力になりたいと思うのです。

来年度の手帳はフランクリン・コヴィーのコンパクトサイズ、モンティチェロに決めました。40mmリングのアンティーク・バインダーはどれほどのエイジングを見せてくれるでしょうか。素材の厚さに期待しています。

Tuesday, March 13, 2007

白州次郎の流儀

夜、思い立って古書店に『白州次郎の流儀』(白州次郎 白州正子 青柳恵介 牧山桂子 他、新潮社 2004)を買いに行きました。「マッカサーを叱りつけた日本人」というエピソードに象徴される彼の、車好き、スピード好きというところが私にとってたまらない魅力です。

この日曜日は雪が舞う寒い日でした。ミュージック・ケア初級総合研修三重会場が終わりました。最終日の今日は30曲の復習と午後のセッションと、充実した実り多い一日でした。155期生のみなさんの健闘を祈っています。

「音楽療法を音楽の言葉で語りたい」という私のこだわりが刺激されて何冊か本棚から出して来ました。
ノードフ&ロビンズ『障害児教育におけるグループ音楽療法』(人間と歴史社 1998)
クライブ&キャロル・ロビンズ『ポール・ノードフ音楽療法講義 音楽から学ぶこと』(音楽之友社 2003)
ケネス・エイゲン『障害児の音楽療法 ノードフ・ロビンズ音楽療法の質的リサーチ』(ミネルヴァ書房 2002)
井上直幸『ピアノ奏法 音楽を表現する喜び』(春秋社 1998)
若尾 裕『奏でることの力』(春秋社 2000)
これにプラスして、若尾裕がカワイの『あんさんぶる』に執筆しているエッセイです。
『ポール・ノードフ音楽療法講義』の言葉は音楽の言葉そのものだと私は思います。音楽論としてのアーテキュレーション(楽曲分析)がそこにあります。音楽のパラダイムがイニシアチブを持つ音楽がそこにある。音楽療法の音楽は音楽として美しくなくてはならない、と私は思う。

Saturday, March 10, 2007

愛の挨拶

愛の挨拶
木曜日に勤務先の養護学校で卒業式がありました。その日の朝は冷え込んで鈴鹿山脈はうっすらと雪化粧をしていました。卒業式が始まるまで、式場には「愛の挨拶」と「カヴァレリア・ルスティカーナ」が流れていました。「愛の挨拶」の冒頭のチェロは喩えようもなくあたたかい音でした。増設したPAは手を伸ばせば触ることができるような音の輪郭を描いていました。このBGMに“幸せ”を感じたのは私だけではなかったようです。卒業生の門出とこれから出会う新しいつながりをこの上なく祝福する音楽、音でした。

Sunday, March 04, 2007

本と食器

3月の日曜日のポコ・ア・ポコは8家族のみなさんに来ていただきました。とても暖かい日で、早々と暖房を切ってゆったりとセッションを進めました。みんなみんな一生懸命セッションに臨んでくれて感謝しています。今月も終わりのシャボン玉をずっと見つめることができました。

日曜日の朝はNHK-BS2の「週刊ブックレビュー」が楽しみで、今日は朝食をとりながら観ていました。私は毎朝ヨーグルトを食べます。もちろんプレーンで、ご飯一膳くらいずつ食べるので消費量はけっこうなものとなります。蓋の内側に入っている別袋のグラニュー糖は台所のかごに山積みです。1年くらい前にヨーグルトを食べるときに使っていた陶器を割ってしまいました。青磁のような風合いでお気に入りでした。以来、雑貨店の前を通る度にヨーグルトを入れる食器を探していますがなかなかいいものがありません。そうして食器たちを見て回るのも楽しみなのですが。私が購読している新聞も日曜日は読書のページが4ページあって楽しみです。そうして本について見聞きすることは食器売り場を見て回ることと似ているように思います。

Saturday, March 03, 2007

小児科で

今週のNHK-TV「プロフェッショナル」はシリコンバレーで半導体開発の会社を起業した渡辺誠一郎でした。彼もMac使い…ということはさておき、彼の“メモ”はMacの15インチのノートに書き込んであって、そのファイルの拡張子は.ppt、つまり、マイクロソフトのPower Pointでした。スライドにメモをしてあるかのようでした。思い出したのがマイクロソフトの「One Note」で、そんな感じでした。テキストも画像も音声も、デジタルファイルであれば何でも貼付けられます。渡辺誠一郎は1枚のメモを数年にわたって書き込むことがあるとのことでした。「One Note」はそうやって使うものなのかと腑に落ちた次第です。

映画「マリー・アントワネット」で印象的だったシーンに、廊下を歩くマリー・アントワネットの姿がありました。ベルサイユ宮の廊下、というのだろうか、回廊のような所を歩くシーンです。14歳で嫁いだ彼女が、好奇心に目を輝かせながら、胸を躍らせながら、悩みながら、思案しながら、そして、ついには、打ちひしがれて歩く姿と、そして、そのときどきの音楽が、ベルサイユ宮で翻弄された彼女の諸相を描いていました。このシーンの音楽たちが印象深いのはかなり仕組まれた構造だからでしょうか。

所用で小児科に行きました。発達障がいの子どもがたくさん来る病院ですが、今日は知っている子はいませんでした。小児科はあかちゃんや子どもがたくさんいてすごくかわいい! 医師になるなら小児科医だと思いました。そこでミッフィーのシールをお土産にいただきました。春だから黄色地のシールにしました。

昨夜は地元の市が夏休みに行っているサマースクールのボランティア養成講座のプランニングでした。伝えたいメッセージがたくさんあります。私もPower Pointのスライドにメモして構想を練ろうか…

Tuesday, February 27, 2007

夜、台所でオリーブオイルとニンニクを入れたフライパンを落として床にオリーブオイルを撒いてしまいました。キッチンペーパーでは拭き切れず、タオルを固く絞って拭く、拭く・・・それでも床の滑りやすさは残っています。どうしたものだろう。ワックスをかけたみたいにちょっと光っています。滑ってこけないように慎重に歩く、歩く・・・

養護学校教諭免許の申請をしました。養護学校教諭免許はこの4月から特別支援学校教諭免許と読み替えられますが、免許取得に必要な単位が増えるので今年度中に取得です。国立特殊教育総合研究所の認定講習で単位を取得したのが2000年でした。あの2か月がなかったら今の私はなかったと思います。私に研修を勧めてくれた先輩に感謝しています。

鮫は泳ぐことをやめて止まると呼吸ができなくなって死んでしまうといいます。生きるためには止まれない、休めない、というエピソードです。ミュージック・ケア総合研修のスタッフで話をしていて自分たちをサメになぞらえていました。ただただ前に進むしかない、休んだらそこまで、ということです。さすがにセーブすることを覚えてバーンアウトするようなことはないと思いますが、私はそんな性分です。休めない。

トランスといわれる音楽のカテゴリーがあります。打ち込みによるゆらぎ感のないリズムの刻みにフレーズ感の少ない音が重なって終わりのない旅をしているかのような音楽、というと怒られるかな? iTunes STOREではダンスのカテゴリーに入っていて、2006年のトランスのベストを見つけたので、先日、“勉強”のために購入しました。聴いていると20年も前にレコードで聴いたジャン・ミシェル・ジャールを思い出しました。アルバム「Equinoxe」は昨年CDで買い直しました。こちらはドラマとストーリーを感じますが、トランスという音楽はその文脈がわからない。でも、何を考えるともなく考え事をするときのBGMにはいいみたいです。

Saturday, February 24, 2007

映画「マリー・アントワネット」

録画したNHK-TVの「プロフェッショナル」でスーパーナースの特集番組を観ました。クリティカルケアの専門看護師です。大学院で学び直した高度な専門性と、自分と語り合う姿勢にただならぬ感動を覚えました。彼女のいちばんの“強み”はベッドサイド、臨床です。これは特別支援学校に求められる文脈でもあると思います。テロップは断片でもあり、切り口でもあり、核心でもある。「ベッドサイドに答えがある」「希望をつなぐ」「迷わず走れ、そして飛び込め」「患者と向き合う」等々。これらは教育の言葉でもあるはずだ。「『弱さ』が持っている『強さ』がある」(茂木健一郎)という人の「詩と真実」もそうだ。医療も教育も最前線の人と人との営みが大切だ。

夜、映画「マリー・アントワネット」のレイトショーを観に行きました。ハリウッド映画以外の何ものでもない映画ですが、音楽好きの私には十分に楽しめるしあれこれ考えてしまう作品でした。まず、21世紀のロックと18世紀の舞踏会とが違和感なく映画のシーンになることが新鮮でした。ヴィヴィッドなマリー・アントワネットが鮮明になっていました。革命が起こったとき現実と真正面から対峙する彼女の強さが予感されます。でも、神格化ではありません。ありのまま、そのまんまのマリー・アントワネットはこんなんだったかな!?と描いている。そして、そのことで絶対君主制の愚かさを露にしている。マリー・アントワネットが悲劇のヒロインに…ということにつなげたくないのはどうしてだろう。この映画はSONYの資本によるものでした。SONYの創立者もこんな映画を制作することにつながるとはこれっぽちも思わなかったはずです。DVDの発売が待ち遠しい映画でした。

Thursday, February 22, 2007

マリー・アントワネット

先週から今週にかけて、休暇を取っては法務局や地方税管理回収機構、市役所など官公庁を回っていました。ようやく一段落してお役目ご免といきたいところですがそれまであとしばらくです。多くの人たちとの出会いがあって、それはそれで私にとっていい意味での刺激となっています。

でも、3夜連続の会合で体が冷えたのか、昨日は熱が出て早退しました。夕飯を作っていたらNHK-ETVでマリー・アントワネットの特集番組をしていました。映画が話題になっているからでしょうか。マリー・アントワネットといえば、学生の頃読んだシュテファン・ツヴァイクの同名の本を思い出します。その本はマリー・アントワネットに同情的とされながらも、革命後、王妃として、母として果敢に生き抜く姿は魅力的と思ったように覚えています。そして、今、彼女を描く映画が生まれた背景は何なのだろう。私は映画は観ていませんが、サウンドトラックの音楽が興味深くて全曲をiTunes STOREで購入しました。マリー・アントワネットと直接何の関係もない音楽です。でも、誰かが結びつけるに至ったのにはそれなりの文脈があるはずで、そこが興味津々です。映画は観たい。これは、夜、ひとりでドライブするときにきく音楽ですね! 今回のアルバム購入で私のiPodの音楽は4000曲を超えました。30GのHDDはちょうど半分が埋まりました。

Sunday, February 18, 2007

+αの空間

昨日は松阪市教育委員会他主催の「障害児教育を考えるつどい」の保育を担当してポコ・ア・ポコのプログラムをしました。“体育会系”の音楽遊びになりましたが、“これもあり”です。“そのまんま”が何よりも大事!

今日は絵画の寄贈があり、朝から勤務先に行きました。油絵です。絵はいいものです。筆の跡のひとつひとつに描いた人の刹那が在るように感じられます。その方は童話も書いてみえるとのことでした。

四日市から名古屋はすぐです。東急ハンズでフランコリン・コヴィーのコンパクトサイズのバインダーを調達しました。アンティークカーフの40mm、色は“チョコ”です。アンティークカーフは抜群の風合いで軽いのです。実物を見た瞬間に「ああ、これだ!」と思いました。40mmのリングは手帳の域を超えたスケールがあります。いくつかのことを同時進行することで+αを求める私にはこれが拠り所かも知れないという選択です。投資かな!? “バイブル”になるかも知れません。その使い勝手を教えてくれたのはクラシックサイズなんですけどね… 私が本革を好きな理由はエイジングの妙にあります。手になじむこと、使い勝手に合わせて質感が変わること、キズができても目立たなくして“勲章”としてしまうこと、等々です。そして、それを手にしているだけで気持ちを落ち着かせてくれます。自分の肌に似てくるのかも知れません。もちろん、それなりの手入れが必要ですが、だからこそ愛おしさがつのります。本革は命の証です。

Windows Vistaのチェックにパソコンショップに寄りました。ところが、Windowsの売り場は閑散としていて意外でした。Macの売り場はというと、人・人・人でした。そこで15インチのMacBook Proに触れて、これだな、と思いました。12インチがなくなった理由がわかったように思いました。+αの空間が+αの価値を生み出すのだ。

Thursday, February 15, 2007

海の色

先日、宮崎県沖でマグロ漁船が大型フェリーと衝突して沈没、乗っていた3人が救助されるという事故がありました。切断された船体が浮き沈みするシーンをニュースで見たとき、海の色がすごくきれいだと思いました。乗っていた人が全員救助されてからそのニュースを録画して何度も見ています。あの海の色は黒潮の色なのだろうか。私がこれまで見たことがない色です。強いていえばインクのブルーブラックか。海に吸い込まれそうな色です。トライアスロンでは各地のレースでいろんな海を泳ぎましたがそんな色の海はありませんでした。その海に入ってみたいと思うのです。あの海の色は抗し難い魅力があります。

ブルー系のスーツを着るようになって深い青によく目が行きます。ところが、スーツは今や無彩色のブラック系が主流で紺系のスーツは数えるほどしかありません。どうしてそうなってしまったのだろう・・・もっとも、私は“あまのじゃく”だからそもそも傍系指向なんですけどね。万年筆などの筆記具のインクもブルーブラックが好きです。アクセラとアテンザのブルーもすごくきれいです。RX-8の特別色の紺は一度しか見たことがありませんがもっといいですね。このブログもブルー系になりそう!

発達障害の子どもたちもブルーが好きな子が多いように思います。どうしてでしょうね。